合 (四) (中編)
カンベエの部屋を辞した後、シチロウジは格納庫へ行こうと決心した。
あとどのくらい時間的余裕があるかは分からない。せめて最後にやっておきたいことがあった。
この部隊にやって来てからの三年間、ずっとシチロウジを悩ませてきた物があった。カンベエの右手に彫られた、一攻の誓いの入れ墨だ。
シチロウジにとっては、二人の間にある空白と距離の象徴だった。
何とか乗り越える方法はないかとあがいたが、そんな物、存在するわけがない。
その次にやったのは、距離を測ることだった。
カンベエがシチロウジとの間に置いているとシチロウジが感じる距離―――それに合わせて自分の立つ位置を、体のでも心のでも、測っていた。常に双方を見比べ、常に修正しながら。
乗り越えようとするよりは少なくとも楽だったが、大変な緊張を強いられることに変わりはなかった。
視点を変えることが出来たきっかけは、ヒラザに言われた一言だった―――
「お前が、六花の仲間になれるわけがないではないか」
何気ない顔をしているつもりだったが、子供時代を知るヒラザにはお見通しだったというわけだ
そしてもう一つ。戦さ場での度重なる経験―――
ひとたび戦さ場に立てば、距離感がどうのこうのと言っている場合ではない、作戦上の位置を保持し続けることもあれば、協同して同じ敵に当たったり、互いの危機を庇い合ったりするのだ。そういう時は、ごく自然に寄り添うことが出来た。
自分がなれるものに―――さらに願わくは自分でなければなれないものに―――なれば良いのだ。
こんな当たり前のことに思い至るのに、どうしてこれほどの時間がかかったのだろう。
結局これは、子供の頃から抱えてきた問題の解決でもあった。
考えてみれば変な話だ。
これまでずっと、自分を見て欲しいと思っていたはずなのに、その自分とは、カンベエが見たいと考えるであろうシチロウジ像で、それはシチロウジの頭の中で作り出された物だったのだ。
まずは、その時その時の素直な自分を出そう。自分の気持ちに正直であろう。
そう思ったら、何故かカンベエの前で緊張することがなくなった。
自分がとっていた行動は、意図するところとは裏腹に、二人の間に壁を作り出し、カンベエを遠ざけていたに違いない。
楽に呼吸をし、楽に振る舞う自分の態度が、いつしかカンベエの緊張をも解いていったように見えた。
実のところはいくらか違うのだが、シチロウジはそう思うことにしていた。
しかし、今、状況が変わった。
時間があるならこのままでも良かったのだが。いつまでも時間があるなら、このまま待ち続けても・・・・・・・・
追い立てられるように格納庫へ行き、皆に知られてしまうがまあいいか、と開き直って小刀(しょうとう)を取り出した。
台座に据えたままの斬艦刀によじ登って、小刀を振動させる。
(真面目で控えめな人物なら別の方法をとったかも知れないが、悪戯が過ぎるのがこのシチロウジ、と)
小刀を握りしめコックピットの風防に向かってキーキーやっていると、周りに、深夜シフトで勤務に就き始めていた隊員が集まってきた。
ふとシチロウジが見回すと、殆どの顔がニヤニヤ笑っている。中には「やったな」とサインを送ってくれる者もいた。
何だ。とっくに皆にはバレていたのか(全く、年長者というのは)―――照れてニマーッと笑みを作ってみせると、どっと笑いが来て、それからそれぞれの持ち場に戻っていった。
夜明けにはまだ何時間もあるというのに、突然、全員に戦闘配置に付くよう促す警報が鳴り響いた。
シチロウジは「仕事」の途中でそれを聞き、手を止めざるを得なかった―――仕上げを完璧にすることは、出来なかった。
カンベエは、会議室で中隊の隊員達と打ち合わせをしているときにそれを聞いた。
互いが用意した夜食を平らげた後シチロウジが帰ってから戦況の見直しをしていたが、何故か仲間と話がしたくなり、会議室へ行こうと思い立って来ていたのだった。
警報に促されて、中隊は格納庫へと急いだ。
部隊は完全に覚醒し、途端に慌ただしくなった。
誰もが引き締まった表情に緊張をにじませて動き回っている。
司令官の声が、拡声器を通してすべての部署に響き渡った。
「こちらはアカイだ。これより全軍、最終的な戦闘態勢に入る。北軍がかなりの規模で接近中との報告が入った。地上部隊との共同作戦になる。総力戦だ。言うまでもないことだが・・・・・・・・」
カンベエの耳には、それ以上届かなかった―――
格納庫で、雷電が自身の斬艦刀を装備しようと取り上げたとき、風防の下に彫られた文字がゆっくりとカンベエの視界を横切っていった。
カンベエは自分が見た物の意味を理解しようと、斬艦刀の行方を追って顔を上げた。
中空に静止した斬艦刀のコックピットの中には真面目な顔をしたシチロウジが収まって、こちらを見下ろしている。
カンベエは彫られた文字を読んだ。
もう一度シチロウジの顔を見る。今度はニンマリと満面の笑みを湛えている。
その顔は、あなたが言葉を探している間、私も黙っていなければならない決まりはないでしょう、と言いたげだった。
(先程会議室では、雷電は何も言ってなかったぞ)
どう反応して良いか分からず、カンベエは思わず顎髭に手をやって、しかめっ面をして見せた。
待っていたかのように、ワッと歓声が起こった。周囲を見回すと、皆が笑顔で頷いてくる。緊張が一瞬和らいでいた。
カンベエは「遊んでいる暇はないぞ。早く戦闘配置に付け」と声を挙げたが、きっと自分はひどく間の抜けた顔をしているに違いないと思っていた。
雷電は格納庫に響き渡る声で笑いながら、何をしてもこの二人は部隊の士気を高めてくれると、後で司令官に報告せねばなるまいと考えていた、もし無事に帰還できたなら、だが。
そうやって夜明け前に旗艦を飛び出して、もう丸一日が過ぎようとしていた。
押し寄せた北軍の規模は、こちらの予想を遙かに上回っていた。東方(ひがしがた)を一気に押しつぶして、いよいよこの場で決着を付ける気なのだ。地上にも空中にも、動いている味方の姿は殆ど見えない。
そして、カンベエとシチロウジは遂に最後の中央突破に打って出たのだった。
シチロウジの読みは見事に当たり、芥子粒も斬艦刀も、何にも妨げられることなく死角をすり抜け、再び合流して、敵の二の丸に到達することが出来た。
本当は本丸を攻めたいが、一昼夜乗り回した斬艦刀をさらに駆って行くにはあまりに遠すぎる。此処でせめて一矢報いるために最善を尽くすしかない。
シチロウジは斬艦刀を二の丸の甲板にある突起に引っかかるように横倒しにして停止させた。
此処で一旦二人は別行動をとり、頃合いを見て戻って来て、二人で帰還する。これまでずっとそうだった。
シチロウジが甲板に戻ったとき、丁度カンベエも上がってきた。
照明が落ちて薄暗い中で、頭上にかかった満月の光を、刃こぼれした刀が反射している。
今は春だから、地上から見る月はもっとぼんやり霞んでいるに違いない。
声を掛けようとしたとき、甲板上のどこかで爆発が起こった。
生身であれ機械であれ、そこに生気を有する者がいたとしたら、どんな攻撃も気配を察知して対応することが出来たに違いない。しかし、甲板の下から突き上げてきた爆発は唐突で、何の予兆もなかった。
二人は咄嗟に勘で、爆発のあった方に身を翻して互いの楯になろうとしたが、艦全体が大きくかしいでどちらも体勢を崩した。直後に起こった二度目の爆発で飛び散った鉄片に弾かれたのは、シチロウジだった。
「・・・・・・・・」
カンベエは甲板を転がっていくシチロウジを追って走った。その体を漸く押さえ、その場に伏せて辺りを窺う。
甲板にはまだ北軍の兵士が何人かいたが、この爆発でわれさきに脱出を計って右往左往を始め、破片の中に転がる二つの体には注意を払わなかった。
「シチロウジ・・・シチロウジ」
声を掛けながら、手探りで傷の具合を確かめる。軍服の左腕の生地が、肩と肘の間で切り裂かれてヌルついていた。
「・・・今のは・・・私の方ですね。予定よりちょっ・・・と・・・早かった・・・」
「ああ、そのようだな。お前にしてはとんだ不手際だったな」
この頃よくやる軽い調子の会話に聞こえるように、わざと重々しく答える。
影になっていて傷の具合はよく見えないが、出血で軍服の腕の部分がぐっしょり濡れているのに触れた。
「引き上げるぞ」
言いながら、カンベエは自分のマフラーを上着の襟の内側から引き出すと、見当を付けて、シチロウジの左腕にきつく巻き付け、ギリギリと縛り上げた。
あまりの痛さに、シチロウジは呻いて薄目を開けた。
「傷は痛まないのに・・・何とも手荒な処置ですね」一瞬カンベエを睨むと、重たげに瞼を閉じた。
「その調子だ・・・動かすぞ」
シチロウジの右腕を後ろから自分の右肩に回してゆっくりと体を起こすと背に負って、時折右へ左へと揺れて傾く甲板の上を、斬艦刀を目指して歩き始める。
斬艦刀は、コックピットを甲板の内側に向けて横たわっていた。
(無茶をして傷を負った俺を詰め込むために倒しておくのだと、いつも言っていたのにな)
胃の上がキリキリ痛むのを感じながらたどり着くと、一旦シチロウジを降ろして側の壁に寄りかからせた。
持ち主の手を離れて転がっていた槍も拾ってきて、傍らに置いてやる。
月明かりの中で、もう一度、傷の具合を調べた。
大きいのは、左腕だけのようだ。止血が少しは功を奏しているのか、生地の濡れ方は変わっていないようだ。
ヘッドギアがちぎれてなくなっていた。髪を縛っていた紐も切れて、背中まである長い金髪がバラバラになびいていた。
頬とこめかみにひっかき傷がある。ヘッドギアをしていなかったらシチロウジの頭部は今頃は・・・・・・
カンベエは若者の強運に感謝した。
しかし上手く脱出できても、このような深傷を負っていては急な降下に耐えられないかも知れない。せめて酸素の補給を・・・幸い自分のがまだ使わずに残っている。
カンベエは自分のヘッドギアを外すと、機能しているのを確かめてからシチロウジの頭部にはめてやった。
艦がまた揺れ、突起から外れた斬艦刀も、甲板の端に向かっていくらか滑った。
「少し急ぐぞ」
声を掛けると、再び体を起こして、槍と共にコックピットの中に入れてやった。
槍の片端を挟む格好で完全には閉じていない風防の隙間から、シチロウジの長い髪の一束が吸い出されてなびいた。何度中へ押し込んでも、外へと漂い出て行く。それがカンベエには、まだ戦さに出て行こうとしているシチロウジの魂のように見え、胸の奥がギリギリと絞り上げられるようだった。
「シチロウジ・・・もうお仕舞いにして帰るぞ・・・シチロウジ」
重傷を負ったシチロウジを見て恐慌をきたしているらしい、未熟なことだと、己を鼓舞するように声を掛ける。
遠くで爆発音がして艦が揺れ、斬艦刀がまた少し滑った。
今度の呼びかけには返事があった。
薄目を開け首を巡らしてカンベエを見ると「・・・シチロウジ」と自分の名を口にしてから「名前・・・・・・・・」と呟いた。
暗い瞳の中に満月が映っている。
「名前がどうした。話をして気分は悪くないか」
斬艦刀がまた少し滑った。もう少しだ。
「名前・・・・・・お茶会で何を・・・話すのだと言ってたでしょう・・・」
目はつぶったが、声は先程よりしっかりしているようだ。
「何故か・・・ほとんどいつも・・・私の名前・・・きかれるんです・・・」
実はカンベエは、その「仕組み」を知っていた。
その日の当番が作った話題リストから、シチロウジが振った賽の目に該当する番号を取り出すのだが、たいてい一番から十二番まで同一の話題しか書いておらず、特に人気があるのが、単にシチロウジとしかいわない名前の由来なのだ。なんと、本人は全く知らなかったとはな。
「夕べは何故か、皆に教えても良いかなと・・・」
「何と話したのだ」
カンベエの脳裏に、まだ四人でシモツキ村に住んでいた頃のことが鮮やかに甦ってきた。大きく茂って夏には木陰を作る小屋の傍らのクスノキ。屈託なく笑いさざめく子供達。数は少ないが今まで持ち続けてきた思い出。
「自分の名前も言えない私・・・のために村の人達が候補をいくつか挙げてくれたので・・・気に入ったのを選んだのだ、と」
傾けた顔は見えないが、声の調子からみて笑みを浮かべているらしい。
「・・・・・・・・・・・シチロウジなんて知らない・・・と言わなかったか」
こみ上げる物があって、話しながらカンベエは風防に顔を寄せた。自分は風防の外だから直接シチロウジに触れているわけではないが、その体に腕を回して抱き寄せているような感覚に襲われた。
また爆発音がして船体が揺れ、斬艦刀が滑る。そろそろ始動の準備だ。はみ出した槍の先端を逆手に握る。
「・・・シチロウジ、言っておきたいことがある。今、ここで」
返事がない。
「シチロウジ!」体を乗り出して声を大きくするが、やはり返事はない。
「・・・聞きたいと言ったのはお前の方だぞ。お前の耳に届かぬなら・・・・・・言っても仕様がないではないか・・・」
斬艦刀が今度は大きく滑り、甲板の端に達した。
「帰りの燃料はありません」と、二の丸に着いたときシチロウジが言っていた。
「甲板から真っ逆さまに落ちないように初速を確保する分だけですからね。始動のタイミングを外さないように頼みますよ」と。
俺は、それはお前の仕事だろう、と視線を向けたのだったな。
甲板から乗り出した斬艦刀が徐々に傾き始めた。
カンベエは、ついに表現する言葉を得た自分自身の感情に点火するような思いを込めて、シチロウジの足許にある機関の始動ペダルを、槍の端で思い切り突いた。
斬艦刀が先頭部を持ち上げるのと船体から放り出されるのとがほぼ同時だった。
二の丸の内部でそれまでになく大きな爆発が起きて、船体が大きくかしぐと墜落し始めた。甲板から大小様々の破片が、斬艦刀と共に空中にまき散らされていった。
月明かりを頼りに、船体や飛び交う破片に当たらないよう操縦桿を操りながら、カンベエはコックピットの縁に掴まってシチロウジと共に落ちていった。
シチロウジが彫った言葉を携えて。
(続く)
(2006.05.13)