衝 (一)
(・・・・・・そうでしたね・・・私が・・・シチロウジなんて知らないって・・・言って・・・・・・・・・)
だるい。寄りかかっている位置が悪いので体をずらすまでちょっと待って下さい、と呟きながらシチロウジは、その先をカンベエに何と答えようかと考えていた。
(何で・・・そんなこと・・・言ったと・・・・・・)
ふふふ、と小さく笑い声が零れてしまう。
(でも・・・カンベエ様・・・・・・カンベエ様?・・・そこにおられるのでは・・・)
感覚のどこかでピッピッと規則正しく繰り返されていた音が、少し乱れた。
人の動く気配。
(・・・・・・あの晩、あなたの顔は影になっていたけれど・・・)
「どれどれ・・・」
(見ていて貰ってるんだと・・・安心・・・)
「どうだ、儂の顔が見えるかな」
「・・・・・・・」
「ああ、無理に喋らんでも良いぞ。後で詳しいことは話すから、もう少しじっと寝ておれ」
誰だ、この老人。我々は二の丸の甲板上にいるはずなのに。負傷したせいで夢を見ているのだろうか・・・
眩しい。瞼を閉じても陽が差し込む。
小さくて堅い金属のふれあう音と、薬品の匂い。隣の部屋?からのうめき声。
まるで病院だ。病院船にでも運ばれたのか。墜落寸前の二の丸から、斬艦刀に乗って?
まさか。でも、カンベエ様ならあり得る。何せ、あなたは・・・
「・・・?」
「今は動けんぞ。傷の手当てがちと面倒でな。悪いが体を拘束させて貰っておる」
「あ・・・の・・・」
「喋れるか。ふむ・・・だが、もう少し寝ておいて貰おう。次に目を覚ましたら、だな」
老人は右側に置かれた箱に薬品らしきものを足すと、優しく微笑んで視界から去った。
シチロウジは再び眠りに落ちた。
(・・・子供心に、ああ、ここだ。見つけたって・・・聞いてますか、カンベエ様・・・・・・ええ、聞こえてますよ、あなたの声は・・・・・・何?・・・話?・・・斬艦刀の始動を頼めますか。私はもう力が・・・入らない・・・)
「さて、本格的に覚醒してきたかな。付き添いのお人がお待ちかねなんだが、会ってみるかね」
老人の顔に焦点があった。
(やはりカンベエ様はおられた・・・怪我などされてはいないのだろうか)
誰かが入ってくる気配にシチロウジは、思うとおりにならない体でかろうじて首をひねり、自分から声をかけようとした。しかし、視界に入ったのは見知らぬ女性だった。
シチロウジは慌ててすました顔を取り繕うと、黙礼して、不躾な表情を向けたことを詫びた。
(さぞかし、みっともないほど笑み崩れた顔をしていたに違いない。少々恥ずかしい・・・)
シチロウジは女性の向こう側に視線を移して暫く待った。
しかし、他には誰も入ってこなかった。
「どなたかおいでになる予定ですかい、兵隊さん。申し訳ないが、今のところはあたし一人なんですよ」
その女性が声を発した。明らかに自分に向けられている。
女性に視線を戻す。第一印象のにこやかな笑顔が幾分陰っているような気がするが、口調は優しかった。
「おやおや」
老人が女性の方を見て、それからシチロウジを覗き込んだ。
「そんな嬉しそうな顔をされたら、散々心配した女将の立つ瀬が無いというものだ」
「あたしのことは良いんですよ。それを言うなら、お気の毒はこちらさんですよ」
「わ・・・たしの・・・連れがどうか・・・・・・しましたか」
喉が引きつり、声がかすれて上手く言葉が出てこない。
「おぬしは兵士だ。率直に話して構わんだろうな」
「・・・ええ。覚悟は出来ている・・・・・・つもりです」
一体何を聞かされるのだろう。頭がまだ少しぼんやりしているようだが、話を理解できるだろうか・・・
老人は女性に部屋にあった椅子を勧め、自分用には隣から小さいのを引きずってきた。
女性は自分の席を、直接シチロウジからは見えない所に置いた。
「体調を見ながら少しずつ行くことにしようか。まず、自分の名前は言えるかな」
「・・・シチロウジ」
「何シチロウジ?」
「ただのシチロウジ、です」
「名字もなくて、あの立派なのに入っていたとは。まあ、掛けてある物が物だったし、特殊な事情があるようだな」
「・・・・・・」
「・・・時にお主、自分の怪我の程度は分かるかな」
「・・・確か・・・左腕を負傷したと・・・止血して貰ってたはずです」
「いや、それは不要だから外したのであろう、何も巻いていなかった」
「じらさないで、そろそろはっきり話して貰って構いませんよ!」
一向にカンベエの消息が判明しないことに苛立って、シチロウジの語気が思わず荒くなった。
「・・・!」
「興奮するな。傷に障る。拘束してあるといったろう。では、要点をかいつまんで話すことにしよう。気分が悪くなったらそう言いなさい」
「・・・失態をお見せしました」
シチロウジは小さく溜め息をついて、チラッと女性の方にも目をやる。控えめに微笑みかえしてくれたが、瞳が悲しみを湛えているように見えた。
(この人は、多分事情を知っているのだろう)
老人はトウゲンアンという町医者だと名乗った。元は北軍の軍医だという。
「ほれ、あの、仙人の住むという桃源郷という意味だ。地獄を見た後は、な・・・」
と片眼を瞑って見せた。顔には深い皺が刻まれてはいるが、表情はよく動き、見かけより印象は若い。
いつもこうやって自己紹介しているのだろうか。医者の見る地獄とはどの様な顔をしていたのだろう。
いつか話を聞きたいと、シチロウジは思った。
こちらの女性はユキノ殿、と医者が紹介した。料亭の女将で、そこの雇い人がシチロウジを発見したのだという。
店の裏に引いた水路には、文字通り色んな物が流れ着くんですよ、と女将は言ったが、目の前の人物に気を遣ってか、具体的な事については言葉を濁した。
「この町の地下には水路が縦横に走っておってな。ここ何年か時折棺桶が、おっと、これは冬眠箱についたここの連中のあだ名なのだが、その棺桶が流れ着くのだ」
「冬眠箱、ですか」
「まさしく! 棺桶とはよくぞ呼んでくれたものだ!」
その声には苦々しさが溢れていた。
「流れ着く数が一つや二つではない。季節によって水の流れの向きが変わり、たどり着く所は様々なれど、どれ一つとして機能しとらん・・・」
「で、兵隊さん。あなたが入ったのだけ、緑の灯りがついて、数字がくるくる回ってたんですよ・・・
そういうのは絶対に触らずに、直ぐに先生を呼ぶように言われてましたんでね」
女将が視線を向けると、医者は満足そうに頷いた。
シチロウジは二人の顔を交互に見た。
「ちょっと待って下さい。何のことです、冬眠箱とか、流れ着くとか・・・」
「確かに。箱に入るのが分かる奴は、そもそも入る必要はあるまいな。
新興のこの町の地下に何故冬眠箱が―――謎を解明したくてな、儂は水路を辿って奥へ行ってみた事があるのだ」
医者は立ち上がって、歩き回り始めた。当時を回想し、説明の言葉を探しているようだった。
「淀みに漂う棺桶も発見したし、原型を止めぬ物もな。岩棚に引っかかっている物すら在った・・・・・・
大戦末期に二の丸級の大艦が墜落したという噂がある。それに搭載されていた物かもしれぬ。この町の建設工事の影響で、岩盤の亀裂に入り込んでいたのが滑落してきたか―――
あるいは地下保管場所か何か、北軍がこっそり作っていたのか。結局儂には解明できなかったが・・・」
「何故北軍の話をされるのですか。私の所属は東方です。それに、大戦末期とはどういう・・・」
「疲れてきたようだな。続きはまたにした方が良いだろう」
「いいえ、今、すべて聞かせて下さい。具合など悪くありません」
「顔色が良くありませんよ。一息入れてはどうです」
やんわりとたしなめられたような気がして、シチロウジは女将の方を見た。
目が合うと、女将はクスッと笑いを漏らした。
「御免なさいよ、笑ってる場合じゃないのは分かってるんですけどね。まるで子供が駄々をこねてるみたいな表情でしたんでね」
シチロウジは呆気にとられて返す言葉を失い、口をつぐんだ。
「お見事。流石、女将だ」
医者は女将に頷くと、漸く元の席に戻って、大きく一つ溜め息をついた。
「お主の事情は、儂のあずかり知らぬ事。儂に言ってやれるのは、箱に入って一緒に岩盤に埋もれていたお主の戦友は、おそらく全滅しただろうということ。もう一つは、お主は東方の軍服をかけられて北軍の冬眠箱に、それも上級士官用のに入っていたということ」
「・・・・・・」
「何か特殊な活動の後、重傷を負って回収されたと見るのが自然だろう」
「何も特殊な事はありません。言ったでしょう、私は北軍ではない」
「そんなこと、どっちだってもう関係ないんですよ、兵隊さん」
女性の声で「兵隊さん」の部分を強調されて、シチロウジは胸騒ぎがした。
「その肝心の戦さが、とっくに終わっちまってるんですからね」
南北の武力衝突が終わりを迎えてから既に五年が経っていると聞かされ、シチロウジは、今度こそ、本当に言葉を失ってしまった。
二日後、拘束がとれた。
先ず知らされたのは、左腕のことだった。
カンベエにギリギリと縛り上げられて痛いと文句を言ったそのあたりで、綺麗さっぱり無くなっていた。「治療の邪魔だったから」と長い髪も切られていた。
シチロウジは、左腕も金髪も惜しいとは感じなかった。髪はまた伸ばせば良いし(伸ばす理由がまだあればだが)、左腕には止血していたマフラーが無かったというのだから。
破れやシミ、汚れがあちこちについた軍服を見せられたときも、ヘッドギアが無いと分かると、途端に興味を失った。
カンベエが自分に与えてくれたマフラーとヘッドギア―――それを失くした今、カンベエとの繋がりも全て失ってしまった様な気がした。
拘束されていなくても、長い間眠っていた体はおいそれとは動かない。
体を動かせないままじっと天井を見て横になっているシチロウジには、傷痕の疼きが生きている証だった。
しかし、ただ呼吸をしているだけ。思考も感情も停止してしまったようだった。
「全く強運な御仁だ」
珍しく医者は患者に敬意を表した。
「腕の傷は致命傷になってもおかしくない程ひどい状態だった様だ。内臓にも多量の出血の痕があり、固まりが肺や心臓を圧迫していた・・・数え上げたらきりがない。感染症の危険だってあったはずだ。五年も箱の中に籠もって命を守られていたとはな。頭部に損傷が無かったのが幸いしたのだろう。全く奇跡としか言いようがない」
溜め息をつきながら、誰にともなく披露していた診療記録をとんとんと揃えなおす。
「ご覧の通り、ここはしがない町医者の診療所だ。病院船のような、作動中の冬眠箱をいきなり開封できる設備がない」
トウゲンアンの説明では、発見から取り出すまでの箱の調整に三ヶ月以上かかり、彼自身の手による処置の後、覚醒には更に数週間。
その間、女将がほぼ毎日、様子を見に来てくれたという。その挙げ句に、あの初対面の「ご挨拶」だ。
医者に言われるまでもなく、申し訳なかったと、シチロウジは改めて謝罪した。
トウゲンアンに促されて、シチロウジは、体に動くことを思い出させる作業に専念することにした。
「覚醒したばかりであれだけの会話が出来たのには、正直驚いたよ。お主の若さなら、筋肉の回復にも長くはかかるまい」
久々に医者としての醍醐味を味わわせて貰ったと、トウゲンアンは往時を思い出したのか、不敵な笑みを浮かべた。
本来は北軍のシチロウジが東方で特殊な任務に就いていた、という筋書きが気に入っているらしく
「こんなべっぴんさんが北軍の戦列に加わっておれば、儂の耳に入らぬ筈がない」と言って譲らなかった。
シチロウジは苦笑するしかなかったが、患者の気持ちを引き立てようとしてくれていると考えることにした。
女将の見舞いは相変わらず続いて、これはシチロウジを恐縮させた。
「あのお医者の話し方が、あたし達に対するときとは全然違ってるのが可笑しくってね。それもここへ来る楽しみの一つなんですよ」
彼女は敢えて、お邪魔でなければとか、暇をみてですから、というような追従は言わなかった。
自分が病人の回復を楽しみに通っているのは誰の目にも明らかだろうし、相手も待っていてくれるのが何となく伝わるからだ。
料亭(みせ)をやっていれば、色んな連中を目にする。以前雇われていた所でも、若い兵士は大勢見てきた。
この「兵隊さん」は、どう言ったらいいのだろう。直ぐには言い表す言葉が思いつかない。
箱を見つけたウチの仲居達が小窓越しに中を覗いて「女の兵隊さんが入ってる」と騒いだほどの器量良しで、箱から出た今はそれ以上だ。
さぞかしモテモテだったに違いないのに、まるで人慣れしていない様に見える。
初対面の相手に対する遠慮とはまた違う、奇妙な距離感。
かと思えば、たまに見せる何とも人なつっこいその笑みは、全く無防備だ。
「その『兵隊さん』はそろそろ止めて貰えませんか」
遠慮がちに病人が切り出したのは、漸く病室の寝台の上で起きあがれるようになった頃だった。
「兵隊には違いないが、私は、ただの兵隊ではなく、サムライのつもりです」
「おや。戦さは終わったのに、まだ違いがそんなに大事ですかい」
「・・・ええ・・・・・・私はサムライです」
膝を覆う薄掛けを握りしめている。
右手に力が戻って良かったと喜びつつ、この兵隊さんの心にはどんな景色が映っているのだろう、と料亭の女将は思う。
自分からはあまり物を言わないこの人が珍しく注文をつけたのだからと、それを尊重することにした。
「では、何とお呼びしたら。何かご希望でも」
「・・・お任せします。他の言い方だったら何とでも」
少し頬を赤らめて俯いているが、それはこの場の会話のせいでは無く、心に映ったもののせいのようだった。
その横顔を眺めて、ユキノはようやく合点がいった。
(ああ、そうか。この人は『子供』なんだ)
この人の、つい昨日まで戦さをしていた心の時間と、いきなり放り出された、心よりは幾らか進んだ体の時間との不釣り合い。
印象が定まらないのはそのせいかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
この人の、戦さをする心が在った場所はとても狭くて、雑多な価値観の入る余地のない閉じた世界だったのだろう。おまけに、そこはこの人にぴったりの所だったに違いない。
それだけではない。この人の来し方の在りようそのものが、そうだったのだ。
そんな場所を、この戦後の世界に見いだすことが出来るのだろうか・・・
右手の指を曲げ伸ばしすることから初めて、遂には危なっかしくも部屋を歩き回れるようになっていくシチロウジの傍らで、ユキノのゆったりとした調子の物語が紡がれていった。
その柔らかい語り口で聞かされる戦後の、新しい町の誕生の様子に、シチロウジは彼女からの控えめの励ましを感じていた。
戦さ場の、男ばかりの世界で過ごした耳には初め甲高いと思われた彼女の声にもいつしか慣れて、女声としてはかえって低めのその響きが、内なる停滞を忘れさせてくれるようだった。
シチロウジの思考も感情も、根底では止まっていた。
そこで止まって、その先何処へも行けなくなってしまっていた。
結局のところ、カンベエの消息については、誰も何も説明出来なかったのである。
(終)
(2006.05.24)