蛍火 (四)
「先ずは私が行って様子を見て参りましょう」
腰を浮かしかけた三人を制して、シチロウジはひとりで店の外へ出た。
店の前の小さな橋を渡ったあたりには、近所の店から人々が様子を見に出ている。夜半を過ぎると街路の灯籠や店先に掲げられた提灯の明かりが絞られて影に覆われる部分が増し、癒しの里に本来備わる秘密めいた雰囲気を醸し出していた。
「蛍屋さんは引っ込んでるが、そっちまで聞こえたかね」
二軒先にある茶屋の店主がシチロウジを見つけて声をかけてきた。
「こんな夜更けに何事ですか。夕方にもたしか呼子が聞こえましたが」
「腕に覚えのある人は悠長だねえ。その夕方の捕り物が続いていて、ずうっと警ら隊がうろついてるんだよ。お仲間と連れ立って歩いていただけのお客が大辻を曲がるたんびに人相を検(あらた)められたって話していたよ」
別の店の呼び込みが口を挟む。
「東の辻の本店で聞いてきたんだが、癒しの里にある店はひとつ残らず家捜しにかけるってえお触れが出てるそうだぜ」
「それはおれっちも聞いた。終わるまでは、朝になっても大門を開けないそうだ」
「一体何人のお客が門の内にいるか分かっているのかね」
「そんなに大掛かりなんですか。一体何の捕り物なんです?」
「サムライ狩りだとさ」
「家捜しは迷惑ですねえ。第一、警ら隊に癒しの里でそんなことをする権限なんてないでしょうに」
眉根を寄せてみせるシチロウジに、声をひそめながら周囲の男達も同意する。
「そうなんだよ。全く。この頃は勝手なことをし放題だ」
「しかし文句を言うと恐いしな。ともかくさっさと終わらせて貰わないと、こちとら商売あがったりだ」
ひそひそと文句を言い合っているところに、直ぐ先の辻でひときわ強く呼子が吹かれた。
「いたぞ!そっちに行った!追えっ!」
「待てっ!サムライ改めだ、神妙に縛に着け!」
警ら隊の叫び交わす声も同時に近づいてくる。
一斉に向けられた人々の視線の先を、大きな人影が警ら隊の一団を従えて駆け抜けていった―――正確には、警ら隊に追われて逃げていたのだ。
直ぐに見えなくなったがシチロウジの目には、追われていたのは陣羽織を翻した鉄兜姿の巨漢だった。
「あれが問題のサムライかい」などと他人事のように言いながら人々が見送っていると、警らがふたり、刺股と紙切れを手に近づいてきた。
「サムライ改めである」
役人特有の尊大さを振りまきながら、一同を見回す。ひとりがまず人相書きと見比べているようだった。もうひとりは周囲に目を配る。
「この一帯も、間もなく店内の捜索を行う。客も店の者も全て店内に留め置いて、許可あるまで外へ出さぬよう」
「今のがその追っておられるサムライってのじゃないんですか。見つかったのに何でまだ家捜しを・・・」
「牢破りの一味がまだ見つかっておらん。分かったらさっさと店に戻って、大人しく捜索の順番を待っておれ」
人相書きを懐に仕舞った警らは人々を追い散らす仕草をすると、次の辻を目指して立ち去った。
集まっていた者達は皆ブツブツと文句を言いながら、それでも店の者に指示を出すため、あたふたと散っていった。
シチロウジが蛍の間に戻ると、皆起きていて帰りを待っていた。部屋の隅には布団がたたまれて重ねられている。それは、再度の別れが思っていたより早まりそうだとシチロウジに告げていた。
「癒しの里にある店全てを捜索することになったようです。ここもじきに警ら隊が乗り込んでくるでしょう」
「今し方また呼子が聞こえたが、その合図だったか」
「いえ。ひとり、追い回されていました」
「我らの他にもここに潜んでいた者がおったのか」
興味深げな表情を見せる一同に、シチロウジは自分が目撃した鎧姿の巨漢について語った。
「おっちゃまだ!」
誰よりも早く反応したのは、コマチだった。
「おっと・・・」
駆けだそうとするコマチを、シチロウジは敷居の所で抱き止めた。
「お嬢ちゃんは店から出てはいけません。そのおっちゃまというのは?」
シチロウジが大人達に目をやると皆うなずき返した。シチロウジは膝を着くと、コマチと同じ目線で語りかけた。
「お仲間なら私がここへ連れてきますから、出かける支度をしてじっと待ってられますね」
コマチは溢れそうになる涙をこらえてシチロウジを見ていたが、「はい」と小さくしっかりした声で答えた。
何が最善のことか、飲み込みの速い子供だ。意志も強い―――追っ手を逃れて身を潜めるこの少女の姿がシチロウジの目には他人事とは思えず、秘かに気にかけていたのだった。
「某も手を貸そう。おっと、借りるのは我らの方でござったな」
ゴロベエのおどけた調子に笑みを漏らし、シチロウジはカンベエを見やった。カンベエもうなずく。コマチを姉の手に渡したあと、三人は蛍の間を後にした。
「外へ出る前に女将と話を」とシチロウジが言ったちょうどその時、ユキノが階段を上がってきた。
「外から戻ってくるのが見えたので」と言いながらカンベエやゴロベエに視線をやる。
「警ら隊とやり合うおつもりですか」
「しないに越したことはありませんがね。済まないけど、裏に船を回しておいてもらえますか」
それだけ言って傍らを通り過ぎるシチロウジに、見送るように振り返ったユキノは少し間をおいて「あい」とだけ呟いた。成り行きに対する不安が頭をもたげていた。
「船?」
階段を下りながらゴロベエが尋ねた。
「店には荷運び用の平船があります」
先に立ったシチロウジが説明する。
「大門が封鎖されても裏道を通って地上へ、町の外へ出られますが、足場が悪く昼間でも光の届かない所がほとんどです。女子供の足では無理でしょう。店の捜索にかかり切りの今の内に、船で水路伝いに逃れるのが無難かと思います」
「いずれにせよ、裏道にも検問がしかれているのでは・・・」
ゴロベエの問いに、シチロウジは店の表戸を少し開けて外をうかがったあと答えた。
「それは裏道とは言えませんね。私が言うのは、この町より先に出来た物のことです」
「何故それをお主が?」
振り返ったシチロウジはわずかに口角を上げて見せた。
「この町の古老から・・・・・・私の遊び場です」
ふたりのやり取りを聞きながら、カンベエは自身の目で目撃してきたこの町の成長の様子を思い返していた。
―――ひとりになったこの身には「こぼれ落ちた種が・・・」と見えたものだ、シチロウジよ。
こみ上げるものを抑えようとして、カンベエは刀の柄をぐっと握り込んだ。ゴロベエへの説明のあとそれたシチロウジの視線がそれを捉えた。顔を上げて目を合わせる。
ほんの刹那、視線が絡み合った。
想いを振り払うかのようにカンベエが声を発した。
「作戦は?シチロウジ」
シチロウジも意識をそらそうとしながら答える。
「はい・・・まず、そのおっちゃまとやらを警ら隊より先に確保します。近くの目印をお教えしますから、必要に応じて撹乱したあとはそこから裏道に入って下さい。四人が合流したら店の裏に回ります。その頃には、女将があとの皆さんを船まで案内しているでしょう」
「承知した」
カンベエは、先程の短いやり取りだけで女将もこの考えを共有しただろうと確信していた。
―――お前を置いて行くには、まこと良い所ではないか、シチロウジ。
三人は人気のなくなった通りから小路へと姿を消した。
「もし、おっちゃま・・・」
背後から囁かれて、薄暗い袋小路に並ぶ小店の壁と壁との間に身を隠していた男は飛び上がった。
「・・・何でえ、ゴロベエじゃねえか!ぬか喜びさせるなよ。コマチ坊かと思ったぜ」
ゴロベエは口の前に指を一本立てながらニヤリとして見せた。
「無事で良かったな、キクチヨ。奥の突き当たりを右に曲がった所にお前さんと正反対の御仁が待っていてくれるから、後を付いていけ」
「何の話だ」
「詳しくは後だ。某はカンベエ殿とちょいとここらをかき混ぜてから追いつくから、お主は先に行っておれ」
「俺様にも暴れさせろ」
「それが出来るならこうしてやっては来ぬ。さっさと行け」
「こちらへ来たはずだ」と角の向こうに捕り方が近づく足音がして、ゴロベエは飛び出していった。
「もうひとりいたぞ!そっちへ入り込んだ!追えっ!」
同時に反対側から応援が駆けつける足音がしたが、そちらはカンベエが姿を現して別方向へ引き連れていった。それによってキクチヨが潜んでいる小路は、捕り物騒ぎの只中にぽっかりと空いた静かな空間となった。
小路の奥で待っているシチロウジの耳に、鎧をがちゃがちゃ鳴らしながら近づく足音が聞こえてきた。
先程の逃げ方といい今の身のひそめ方といい、警ら隊を呼び寄せたがっているとしか思えない。顔を合わせたら何かひと言言ってしまいそうだと考えていた目の前に、男が姿を現した。
その出で立ちを見た瞬間、シチロウジは言葉を失った。
目の前に現れた優に七尺を越える姿は鎧に身を固めた男ではなく、全身を機械に替えた人間だったのだ。
大戦も末期になると、町や村で盛んに新兵募集が行われ、特別な訓練はおろか武器らしい武器を手にしたこともない連中が先を争って応募してきた。
手っ取り早く金を稼ぐため。あるいは身分を越えて立身出世を夢見るゆえ。あるいは食い詰めて棄村してきた者、サムライに憧れる者・・・
中には、少しでも有利な条件で採用されるようにと体の一部あるいは全部を機械に改造してきた者もいた。但しその技術水準はひどくお粗末なものが多かったが。
動機も背景も様々な彼等。その彼等に共通していたのは、最前線で正規軍の楯にされる運命にあったことだった。
大急ぎでかき集められてきた彼等は兵士とは名ばかりで、地雷原に放される小動物と何ら変わりはなかった。敵の攻撃の矢面に立たされ、攻撃と攻撃の合間を縫って陣地を築き上げ・・・
彼等が血と泥と汗にまみれてのたうち回っている上を、訓練を受けた兵士から成る部隊が進軍する。
そうした戦さの現実の頂点に肩をそびやかして立っていたのがサムライだ。今さらきれいごとを言っても始まらない。
地上遥かな高度で命のやり取りをしていた自分達はそうしたこととは無縁だったと言い逃れすることも、出来まい・・・
今目の前に立っているのはそうした、地雷原に放たれた小動物のひとりだったに違いない、機械のサムライ。
大戦時ならばサムライの定義とはほど遠い存在を前にして、シチロウジは今、素直にそれをサムライと呼んでいた。
機械の体が全ての音を止めて一瞬静まりかえり、おもむろに野太く調整された合成音を発した。
「・・・お主か、拙者を助けてくれるというのは」
金属が擦れるような甲高い雑音が倍音に混じってかすかにこだまする。何とも懐かしい響きだ・・・
シチロウジはうなずくと手招きした。
「こちらへ。お連れ様の所へ御案内します」
「かたじけない」と礼を言って歩き始めた機械の体が背後で相変わらず大きな音を立てるので、シチロウジは思わず苦笑した。それに気付いたのか頭の上から声がした。
「何が可笑しい」
立ち止まって振り仰ぐと、神妙な顔で答える。
「それだけ目立つのなら、ゴロベエ殿ではなくあなたを囮にすれば良かったと・・・」
たしなめられたことが通じたらしい。相手は巨体を心持ち小さくして小声で答えた。
「ゴロベエが自分で行くと言ったのだ・・・」
うなずいて歩き始めたシチロウジに再び小声が聞こえた。
「拙者はキクチヨだ。お主、名は何と申す」
「シチロウジと申します、キクチヨ殿」
上半身だけ振り返って答える。裏道への入り口の前で屈むようにと合図しながら、シチロウジは我知らず微笑んでいた。
程なくゴロベエが、続いて別方向からカンベエが来て予定通り四人は合流した。
通りや小路、辻々で警ら隊が彼等を捜し回っている気配が反響音となって伝わってくる。
「この壁伝いに行けば蛍屋の裏手に出られます」
先に立って進んだシチロウジは、奥の分岐点を示した。そこはわずか一条の光が射すのみで、先の方は闇に閉ざされて様子が分からない。
「成る程、裏道がどこもこの様ではな」
暗闇に一歩踏み込んだカンベエが、周囲を見回し足許を確かめながら呟く。
「どれ、某が先導を務めよう」
「うむ、頼む」
カンベエ様が行ってしまう!
ゴロベエとキクチヨを先に行かせるカンベエの背を見ながら、シチロウジは突然焦燥感に駆られた。
―――もう後悔したくはない!
「カンベエ様・・・」
ふたりの後に続こうとするカンベエに声をかける。それは囁きに近い小さな声だったが、カンベエは動きを止めて振り返った。
「本当にこのまま立ち去るおつもりなら・・・」
半身になって自分を見るカンベエの姿に胸が詰まって声が出なくなり、一旦つばを飲み込む。
「また離れ離れになるのならば・・・」
シチロウジは思わず踏み出した。
「最後に一度・・・あなたに触れても構いませんか・・・」
それは、蛍の間に足を踏み入れて以来、カンベエが断じてすまいと思っていたことだった。いささかでも触れ合うことがあれば、おのれの決意が揺らぐに違いない、と。
カンベエからの答えを得られず、シチロウジの足は止まった。感情の読み取れない面(おもて)を見つめる。それはほんの刹那だったが、求める者にとっては重くのしかかる瞬間だった。
後悔したくない―――シチロウジの胸にあったのはその一言だけ。最後の出撃を前にして言いそびれたことがあったのを、目覚めてこの五年、どれ程後悔したことか。
こうして再び言葉を交わす機会を得たのだ。何を諦めてもこれだけは諦めるわけにいかない。
その思いがシチロウジの背中を押した。
カンベエは身を翻してゴロベエ達の後を追うつもりだった。しかし、最後の一歩を踏み出して自分の前に立ったシチロウジの瞳から目を逸らすことが出来なかった。その右手がすっと伸ばされておのれの腕(かいな)に触れるのが視野の端に見え、気が付けば、その上に我が手を重ねていつしか握りしめていた。
「・・・カンベエ様・・・」
喉を詰まらせ掠れた声が自分の名を呼ぶ。蛍屋で見せた静かな眼差しは消えていた。
次の瞬間カンベエは、握った手を引き寄せてシチロウジの体を受け止めていた。
「・・・どれ程お会いしたかったことか・・・」
「・・・・・・よもや会えるとは思って・・・シチロウジ!」
様々な想いが一度に襲ってきた。こみ上げ溢れてくる感情が大きすぎて、どちらも言葉を失っていた。
互いにようやく捕まえた体にとりすがり、シチロウジは待ち焦がれた名を声を殺して何度も呼んだ。
カンベエはおのが胸に顔を埋める奇跡のような存在を我と我が身に刻みつけるかのように強く抱きしめ、その髪に顔を埋めた。
「まだ三つ目の・・・」
シチロウジがようやく口を開くことが出来たとき、ゴロベエ達が姿を消した方角からあからさまな人の気配が近づいてきた。
「行かねばならぬ」
手を放し体を引いたカンベエにシチロウジは囁いた。
「待って下さい。まだ聞いて頂きたいことが・・・」
カンベエにはシチロウジが何を言いたいのかが分かったような気がした。
そして、その合図にカンベエが小さくうなずくのを見て、シチロウジは答えを、ずっと長い間求めていた答えを初めて得たような気がした。その理解がシチロウジの胸を突き刺した。
「キクチヨは涙の再会を果たしましたぞ」
奥からひょっこり顔を見せたゴロベエがカンベエに声をかけた。カンベエは答えてうなずく。次いでゴロベエは、背を向けたシチロウジにも声をかけた。
「上手いこと追っ手をまけたようですかな」
裏道の入り口を向いたままシチロウジがうなずくのを見て、カンベエの中に迷いが生じていた。
―――自分の行為によって自分もシチロウジも動揺している。一刻も早くここを立ち去らねば。
(続く)
(2007.06.17)