蛍火 (一)
夏が去ってから幾らか日が過ぎていた。
巨大なすり鉢の底にある癒しの里では、夏と冬で気温に極端な差があるわけではないが、それでも夏はそれなりに暑く、秋になれば心地良い微風が吹き始める。
季節はいつものように過ぎては訪れを繰り返し、蛍屋のその夜の商売もいつも通りに始まった。
いつものように最初の客が入って殆どの部屋が埋まり、店自慢の料理に舌鼓を打ち、客によっては芸人衆を呼んでの宴が始まったところだった。
ユキノは女将としての挨拶をひと回りし終えると、一旦自室に下がるため、中庭を巡る縁側に通りかかった。
そこは奥にある個人用の庭の数倍の広さがあり、四季や山水を表現する樹木や白砂、小川などが配され、凝った作りの石灯籠も置かれている。遊興街の癒しの里には珍しい本格的な、先代店主自慢の庭園であった。
何気なく庭に目をやると、せせらぎが奥庭と通じる一角にある竹林に隠れるようにして、珍しくシチロウジの姿があった。思わず声をかける。
「シチロウジさん・・・どうかして? この時分は、いつもは奥に引っ込んでいるのに」
シチロウジは竹の間にしゃがんだまま、声のした方に振り返った。女将が欄干に体を預けるように身を乗り出してこちらを見ている。
もう一度視線をせせらぎの辺りに戻してから立ち上がると、縁の下の犬走りを通ってユキノの傍らに向かった。
灯籠のほの暗い明かりの中、羽織の裾を揺らしながら近づいてくる男の姿をユキノは見守った。
暫く前に酔客の前でやって見せた即興の余興の名残そのまま、シチロウジは肩まで伸びた髪を後ろで三本に分けて縛っていた。それがシチロウジの動くのに合わせて別々に揺れるのが妙に可笑しく、見る度にユキノの頬はつい緩んでしまうのだが、しかしそれと同時に、シチロウジがそうやって癒しの里の風俗や店の仕事に次第に馴染んでいくことに、幾ばくかの後ろめたさを感じるようにもなっていた。
ユキノの足許まで来ると、シチロウジはせせらぎの方を振り返った。
「奥庭で蛍が一斉に飛び立ったので跡を追ってきたら、ここまで来てしまって・・・」
ユキノは目を丸くして、それで?と無言で先を促した。
「どうやらあの小川の側で、次々に羽化しているようなんですよ」
「まあ。もう夏も終わろうかというのに、まだ続いているのかしら」
まるで羽化する様子が見えるかのように、ユキノは欄干から再び身を乗り出した。
「でも、奥にいた蛍が集まってきたのは何故かしら?」
ユキノの言葉に、シチロウジも首をかしげてみせ、それから色白の面に笑顔を浮かべた。
「何にしても、まるで歓迎会のようでしたよ。蛍が大勢で群れてそこら中を飛んだりして」
話しているシチロウジをよく見れば、縁の天井に吊された明かりで薄れてはいたが、その髷の先や肩、袖に蛍が何匹か留まって明滅していた。
「どうやらその歓迎会に出さして貰ったようですね」
ユキノの視線を追ってシチロウジも自分の体を見回して、「ああ、本当だ」と小さく笑い声を立てた。
ふと思い浮かんだ蛍合戦という言葉を、ユキノは飲み込んだ。
合戦という表現が気に入らないし、シチロウジを不快にするかも知れない。そもそも、この言葉の持つ意味合いが、今の自分には切なすぎる。
それに先程から、かつて夜半の月明かりの中に佇んでいたシチロウジの姿を思い出して、ぞっとしていたのだ。
あれからもう何年も経つというのに・・・
あの頃の何とも言えない不安や無力感を思えば、今こうして笑顔を見られるならばどんな姿に変えてしまっても許されるのではないかとさえ思ってしまう。
「奥へ戻るのなら、一緒に行きましょうか。ちょうどご挨拶が済んだところだから」
「こっちから上がっても良いですか?また植木の間を通ると折角の庭を壊してしまいそうで・・・。あ、蛍を追っかけていても、ちゃんと気はつけてましたよ」
ちょうど脇にあった石段を上がりながら、シチロウジが弁解する。
「はいはい。明日調べてどこか傷んでたら、お給金から引いときます」
「あれ?いつお給金なんて貰えることになりましたっけ。全部、借金の形(かた)に差し押さえられてるんじゃ?補修代を取られたら赤字ですよ」
おどけてみせるシチロウジに、ユキノはくすくすと笑って返事の代わりにした。
四年ほど前のことだったか。
シチロウジが左腕を欲しがっているがそれまで以上にユキノの厚意に甘えるつもりはないらしいと分かったとき、蛍屋から借金をして代わりに何か店のために仕事をしてその返済に充てたらどうかと持ちかけたのは、ユキノだった。
本心ではシチロウジに金を貸しているつもりはないから、彼女にとってはこの話題はたわいない遊びのようなものだった。
(この人、腑に落ちないという顔をしたわね。その上、案外真剣に借金のことを考えている節があって、その未だに世間ずれしていないところがまた魅力でもあるんだけど)
「・・・私の顔に、何かついてますか?」
怪訝な顔で問いかけるシチロウジに、あわてて「いえいえ。何でもないの」と答えて、ユキノは笑ってごまかした。
―――だから、取り敢えず返済の約束の五年間は、この人をここに留めておける。
そうやって冗談を言い合いながらシチロウジの部屋の前に来たとき、ユキノはそっと腕を絡めた。
「店は?」と尋ねるシチロウジに、今は大丈夫と眼差しで答える。
中に入って障子を閉めると、シチロウジはそっとユキノの体を抱き寄せた。
「どうしたんです?店が始まったばかりの」
「こんな忙しい時分に、って思ってるんでしょ?」
「・・・・・・」
「何となく、なの。何となく。蛍を見てたらちょっと思い出したことがあって・・・上手く言えないけど・・・」
シチロウジは、綺麗に結い上げたユキノの髪にそっと唇を当てた。
「女将の笑顔が蛍屋の一番の売り物なのに、そんな寂しそうな顔をしていたら・・・」
「ま、お世辞も上手くなったのね」
ユキノは、じっと自分を見つめるシチロウジの心配そうな眼差しに、じれったさを覚えた。
この年月は、この人を変えたかしら?
綺麗な顔に子供っぽい表情の眼をしたあの若い兵隊さんにとって、ねぐらを冬眠箱から蛍屋に変えることが何かの助けになったのだろうか。
やっと誂える気になった左腕は、あろう事か作り物であることが一目で分かる、本人曰く「おもちゃ」みたいな代物で、おまけにこの頃は、時々納戸や道具部屋を引っかき回しては別のおもちゃを探し出しているらしい。
そして一番の気がかりは、左腕と一緒に新調した、あの朱色の長尺物・・・
「あなたは何ともない?―――こんな所にいて」
「・・・・・・」
「ああ、ごめんなさい。どうかしてるわね。今更こんな事口走るなんて」
ユキノの体に回されていたシチロウジの生身の方の腕に力がこもった。
「白粉(おしろい)で汚してしまうわ」と呟きながら、ユキノは男の胸に頬を預けた。柔らかい羽織り物が心地良く受け止めてくれる。
「不肖シチロウジ、今は負債を抱える身。身を粉にして誠心誠意、蛍屋のために勤める所存にて候」
思いがけないシチロウジの科白に、ひとが心配しているときに冗談を言うなんてと顔を上げると、そこには真剣な表情が待っていた。戸惑ったユキノは言葉を失った。
暫く見つめ合ってから、シチロウジは唐突に破顔した。
「びっくりしたら気分が変わったでしょ?さ、笑顔を見せて。また心配をかけたかと思うと、辛い」
「あなたって人は・・・」
自然に笑みが浮かぶ。二人は、求めるというよりいたわり合うような口づけを交わした。
「いつまでそうやって遠慮しているの?」
シチロウジの唇についた自分の紅をそっと拭いながら、ユキノは尋ねた。
「遠慮?」
「ああ、また・・・。この話はお仕舞いにしましょ。多分、あなたにはそういう発想は無いんだわ。そこがあなたの良いところ。そんなあなたに、あたしは惚れたのよね、きっと」
そう言うとユキノは、はにかんだように微笑んだ。
微笑を浮かべたまま「この三本の髷が」と言いながらシチロージの髪に手を伸ばして、その一本を軽く引っ張る。
「あの時のあなたの唄によれば、これがその証しという訳ね。あと一年―――随分可愛らしい証文だこと」
言われてシチロウジは、何ヶ月か前に座敷で客の戯れをかわしながら即興でうなったひと節を思い出した。
「あの口からでまかせは・・・・・・」
あの時、その場の思いつきで唄った歌は、途中でふと気が付いて、心の中でそっくり別の唄に置き換わってしまったのだ。
ひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・
自分はまだ数えていたのだ―――もう随分昔の誓いじゃないか。まだ持ち続けていたのか。
シチロウジはユキノを再び抱きしめた。
「この証文は・・・・・・」
当意即妙な応答をしようとしたが何も思いつかなかった。
済まない。何と言えば良いだろう。実際は、何に対する証しだと・・・・・・
この五年間、自分は何かを待っていたのだろうか。そしてこのまま待ち続けるつもりなのか。借金などと、何の酔狂をやっているのだ。
結局騙し騙し過ごしてきてしまったのではないか、人もおのれも。
では、どうすれば良かったのだろう。斬艦刀に入れられてから敵方の冬眠箱の中で目を覚ますまで、その間に何があったのか、自分は何も知らない。
どこかで、待ってくれてるのだろうか。
いつもの堂々巡りに陥ってしまったシチロウジを、ユキノは見つめるしかなかった。
この頃、よくある、こんな顔をして考え込んでしまうことが。昔の発作よりも良いのかどうか、あたしには分からない。
ピピーッと鋭い音が宵闇を裂いて響いた。
シチロウジを夢から覚ますかのように、外で捕り物の笛の音が三度、四度、高く強く吹き鳴らされた。
「今夜はまた、随分近いな・・・」
我に返ったシチロウジは、呼子の音に誘われるように廊下に出ると勝手口へ向かった。
「危ないことは嫌ですよ」
ついて来たユキノが眉をひそめる。
「分かってます」
耳を澄ますと、蛍屋のある一角に向かって、呼子が何者かを追い込んでいるように吹き交わされている。
警ら隊直々の捕り物にしても、これはいつになく大掛かりだ。
何か様子が分かるかと、勝手口から表へ回る。
店の前の小さな橋を渡ると、先の小路の暗がりに人影が見えた。薄い色の着衣をまとっているらしく、姿がぼうっと白く浮き上がって見える。
その人影の後ろから太い声が聞こえた。
「カンベエ殿、そちらは如何かな」
白い人影は声のする方に振り返る。
その言葉がシチロウジの心の臓を鷲掴みにした。ググッと体の中心に力が入り、血の気が引いていった。
思わずその人影の方へ足を踏み出そうとしたが膝に力が入らず、そのままその場で転びそうになる。それを支えたのが、新たに聞こえた声だった。
「カンベエ殿、どうやら囲まれたようだ・・・」
「カンベエ様!」
「先生!」
人影が人影を押し出すようにして、六、七人の集団がほの暗い街灯の下に姿を現した。先程よりかなり近くで再び警ら隊の呼子が響く。
辛うじて立ち直ったシチロウジは、無意識のうちに一同に声をかけていた。
「こちらへ!そこの方々、早くこちらへ!」
それに引き寄せられるように、集団が店の方へ駆け寄ってきた。
シチロウジは一団を庇うように橋を背にして立ち、警ら隊が来ないかと周囲を窺う。その背後を人々は子供を抱きかかえた大男を先頭に走り抜け、ユキノの導きで店の内に駆け込んだ。
橋を背にして辺りを警戒する―――それは大戦中ならば、行軍の案内役に就いた時にとる当然の警戒行動であり、それが今無意識に出たに過ぎないのだが、同時にそれは、何故か自分の顔を背けるためでもあった。
最後に橋を渡っていく人物の視線が、背中に強く感じられる。
その人物すなわちカンベエは橋を渡る間、シチロウジの後ろ姿から目が離せなかった。
自分たちに声をかけてくれたこの人物―――いかにも花街の住人らしい夜目にもあでやかな薄紫の羽織が、すらりとした立ち姿に柔らかくまといついている。
と同時に全く奇妙なことに、この粋人はその出で立ちには不似合いな、兵士の様な行動をごく当然のようにとっている。
突然その後ろ姿に、かつて戦さ場で自分を庇って敵兵の前に立ちはだかったシチロウジの背中の記憶が重なった。この人物の髪を上げたうなじが、それを思い起こさせたのか・・・・・・こんな時にまた奇妙なものを思い出してしまったと、カンベエは苦い思いを飲み込んだ。
記憶を振り払いながら「かたじけない」と声をかける。
その声を聞いてシチロウジは、これ以上自分で自分を抑えきれないことを悟った。振り向いて、こちらを見続ける瞳に相対する。
一瞬全ての動きが止まり、相手の顔に浮かんだ驚愕の表情は、シチロウジの予想以上だった。
「ひとまず中へ!」
こちらへ来ようとするカンベエを制して、シチロウジは店の入口を指した。
一旦そちらをみて気を取り直したかのように頷くと、カンベエは皆が待つ店内に駆け込んだ。
全員が店の内に入り戸が閉まった直後、通りに警ら隊の捕り方が姿を現した。追いつめたはずの獲物が見あたらず、困惑顔で周囲を睥睨(へいげい)している。
一人が、懐手をして橋のたもとに佇むシチロウジを見つけてじろりと睨んだ。
「おい、そこの。こちらへ誰か来なかったか?」
「あたしも今出てきたばかりでして。猫の子一匹通りませんでしたよ。何かあったんで?」
花街の遊び人風情がと言わんばかりに、その捕り方はシチロウジに向かってフンと鼻を鳴らし、返事を無視した。
「追い込んだとすれば、この辺りの筈だが・・・途中の脇道をもう一度確認したが良いかも知れぬ。引き返して当たってみよう」
「うむ。では、我らはこちらの方から・・・」
打ち合わせをすると、捕り方は左右に散っていった。
呼子が遠ざかり捕り方が去ったのを確認してから、シチロウジは店の前まで戻った。
店の戸に手をかけたが、しかし開けることを躊躇い、店先に立ちつくす。
「どうやら見られずに済んだらしい」
店の三和土に固まって安堵の溜め息をつく集団は、総勢七人―――男が四人、少年一人、姉妹と見える少女が二人。
シチロウジが橋のたもとで転びそうになったところから一部始終を目撃して、ユキノはそのただならぬ様子を察していた。
「こんな所では何ですから、お上がり下さいな」
一同を引き留めようと声をかけ、「お心遣いかたじけないが」と一人が答える。
店の戸越しに、シチロウジにもその声が聞こえた。
カンベエ様!
ああ、カンベエ様の声だ。記憶にあるよりもすこしかすれているだろうか・・・
「こちらに入れていただいたおかげで危ういところを助かり、礼を申します。が、我らは・・・」
「どちらへいらっしゃるにしても、今すぐには外に出られないでしょう?小さいお嬢さんもおられますし、しばらく休んでいらっしゃいましな。お話はまた後で伺って、その上でもしも怪しい方々なら、その時はお番屋へ突き出させていただきますから」
冗談めかしながらも思いやり溢れるユキノの言葉に、一同から笑みが零れた。
「お言葉に甘えて、そうさせていただきましょうよ」
別の一人の言葉に皆が賛意を表した。
「では、こちらへ―――あ、おソメ、皆さんを蛍の間へご案内して、お席の用意を」
ユキノはちょうど顔を見せた仲居の一人に声をかけて、一同を二階へ誘(いざな)った。
一同を見送り振り返ると、最後に入ってきた人物が、外に出たままの店の者を気にしている様子が見て取れた。
ユキノが声をかける前に、カンベエは自ら戸を開けて外を覗いた。シチロウジはとっさに俯いてしまった。
「お主も中へ。また捕り方が来れば怪しまれよう」
平静を装っていると分かるカンベエの声が、俯いたシチロウジの上に下りてくる。シチロウジは、顔を上げられないまま敷居をまたいで後ろ手に戸を閉めた。三本の髷が、ゆらゆらと揺れる。
俯いた者もそれを見つめる者も、どちらも無言だった。
ややあって、言葉をかけたのはカンベエだった。
「もう一度顔を見せてくれぬか?」
一旦言葉を切り、相手が反応しないのを見て、
「お主・・・・・・まことに・・・シチロウジか?」
最後は絞り出すような声になった。
この年月、あれ程焦がれていたカンベエを現実に目の前にして、シチロウジはどうして良いか分からなかった。心の臓が耳の中で拍動しているかのようにグワングワンと鳴り響き、こめかみが痛い。
顔を上げて待ち焦がれたその人に間違いないことを確かめたとして、それから?
カンベエ様はどうするだろう。懐かしがってくれるだろうか。例えば私が抱きつくのを許してくれるだろうか。
いや、一同にどういう事情があるのかも分からないのに、馴れ馴れしくは出来ない。でもだからといって、「これはお久しい」などと平静を装って挨拶できるだろうか・・・。
シチロウジは、離れ離れになった理由が分からない故にどうやってカンベエの前に立てば良いのか、己の意味を計りかねていたのだ。
そこへ、カンベエの「まことにシチロウジか?」という問いが聞こえたのだった。
それでようやく決心がついた。ついと顔を上げ、カンベエと視線を合わせる。
声は出なかった。口を開けば平静ではいられまい。口許に無意識のうちに力が入る。
カンベエは、改めて目の前に現れたものに強い衝撃を受け、息を呑んだ。
目の前のその顔立ち、見開かれた陰りを帯びた空色の瞳、キッと引き結ばれた口許―――全て記憶にあるとおりだった。
「・・・まこと・・・・・・シチロウジ・・・か」声が掠れる。
シチロウジは無言で小さく、しかしハッキリと頷いた。
―――生きていた!
十年前のあの時、巨艦にあおられた搬送船が砂漠に姿を消した時、失ってしまったと・・・
再び手に入れることが出来るはずはないのに諦めきれず、事ある毎に後悔と共に思い返してきたものが全て今、生きて目の前に在った!
カンベエは体から力が抜けて、思わずその場に片膝を着いた。シチロウジが無事だったというただ一つの感慨が全身を満たし、口にすべき言葉が何一つ浮かんでこない。
シチロウジも膝を着き、右手を差し伸べた。
カンベエの反応を見てシチロウジは、自分はここに、カンベエの前に在っても良いのだと理解した。
差し出した手と手が触れあう。
突然飛び込んできた事態を手際よくさばきながらも、ユキノは先程からのシチロウジの動揺ぶりに衝撃を受けていた。
五年前、シチロウジが冬眠箱の眠りから覚めた時に真っ先に捜したのは、きっとこの人に違いない!そして今二人は、長年月の別離の果てに再会し、互いの無事を喜びあっている。
そっとしておいてあげたいと思う一方で、どちらに対しても、互いの存在を隠しておきたいという衝動に駆られた。
かけるつもりのなかった言葉が、思わず出てしまった。
「お前さん・・・・・・」
ユキノの言葉が、二人の男に波紋を投げかけた。
ハッとして、夢から覚めたかのように、どちらも普段の顔に戻る。
「そちら様にも上がっていただいて、お話しはそれからゆっくりと」
「これは・・・・・・こんな所で失礼した。思いもかけないことで・・・少々取り乱してしまった様だ。皆のところへ行かねば。待っておるだろう」
カンベエは、シチロウジに一旦視線を戻した後、立ち上がった。
触れあった手が離れるとき、名残惜しげに一瞬動きを止めたのを、ユキノは見逃さなかった。
シチロウジは、履き物を脱いで上がろうとしているカンベエを見ながら、同時に、上がり框に膝を着いたユキノにも視線を向けた。
ユキノもシチロウジを見返してきたが、その瞳は、心の内を語ることを拒否しているように見えた。
「かたじけない。世話になります」と礼を言うカンベエに「お連れ様は二階の蛍の間にいらっしゃいます」と小さい声で伝え、ともに階段を上がっていった。
シチロウジは、カンベエを案内するユキノの後ろ姿を見つめた。
事情が分からないながらも一行を暖かく受け容れてくれたユキノには感謝していた。
大抵のことには落ち着きはらっているはずのその口から唐突に発せられた先程の言葉には驚いたが、その一方で、それを口にした時の気持ちは痛いほど分かった。
つい先程まで、二人はそれらしい事を話していたのだ。
(お前さん、か・・・)
階段を上りきったところでカンベエが振り返った。
階下から答えた「後で参ります」という言葉は、同じように振り返っているユキノにも向けられていた。
(続く)
(2006.09.11)