合 (三) (前編)
かすかだが、確かに物音がした。
カンベエは一瞬緊張したが、夕刻の作業が一旦終了した後にまだ誰か残っていたのかも知れないと思い直して声をかけた。
「一攻のシマダだ。奥に誰か居るのか?」
返事はない。照明が落とされて薄暗い格納庫の前方に目を懲らすが、物陰にいるのであろう、人の気配はすれども姿が見えない。
「居るのは判っているぞ―――返事をしないなら、俺の方から顔を見に行くが、構わんだろうな」
わざと足音を立てて歩き始めた途端、影が動いた。ハンドライトを向けると、小さな光点の中、交換部品を置いてある棚の側に、眩しさに顔をしかめた若い顔が浮かび上がった。左手を後ろに引っ張られてもがいている。棚の陰にまだ誰か居るのだ。
その誰かが、右手で若い兵士の腕を掴んだまま、ライトの前に姿を現した。
「シ・・・副官殿ではないか」
左手をかざして居るので顔の半分は陰になっているが、口元と顎の線から見間違えるはずはなかった。若い方は腕を振りほどこうともがいていたが、逆に掴む力が増したのか、小さくうめき声を出しておとなしくなった。
「こんな時刻と場所に相応しい様子には見えないが」
内心穏やかではないのを押さえて、声をかける。
「貴方には関係ないことです」
それだけ言うと、シチロウジは腕ごと兵士を引きずって、格納庫の出入り口へと向かって来た。
二人がカンベエの側を通り過ぎるとき、若い兵士は顔を赤らめて決まり悪そうに俯いていた。
カンベエは黙って二人を見送った。
あの若いのは確か、シチロウジが副官として赴任してくるのより何ヶ月か早く配属された補充要員の中にいたような・・・・・・機関部だったか・・・・・・
最近とみにシチロウジの身辺が賑やかになっていて、若い隊員達が彼の行く先々で人の輪を作るようになっていた。例の「副官殿の最高の歓迎の挨拶」以来のことで、元々シチロウジには好意的だった若い兵士達があからさまに親愛の情を表現して、一種のお楽しみとなっていたのだ。
それには名前まで付いたな、とカンベエは苦笑した。
―――副官殿を囲む会(シチロウジファンクラブ)
その「囲む会」とやらの混雑に、今の若いのが混じっているのを見かけたことがある。
しばらく二人の後ろ姿を見送った後、カンベエは此処へ戻ってきた当初の目的を果たそうと、細かい部品を分類収納してある棚に向かって歩き始めた。歩きながら、先程のシチロウジの言葉を思い返していた。
―――貴方には関係ないことです
正直むっとしたが、あの声は誤魔化しでもなく、拒否でもなく、照れ隠しでも無論なく、中立的な響きをまとっていた。自分は自分のやるべき事をしているだけ、という。とすれば、見た目の様子以上の何かが有るということか。
直ぐには判断しかねるな。あいつの此処での、俺に対する鉄面皮ぶりはたいそうなものだし・・・・・・
その鉄面皮が、数日後、朝の食堂での騒ぎの中心にいた。
シチロウジの周りの席では、このところの習いとして、囲む会の若い連中が押し合いへし合いしながら食事をしていた。
その中に一人、中々席を立たせて貰えない兵士がいた。格納庫でカンベエが見かけた若者だ。立とうとする度に、肩を押さえられたり腕を掴まれたり、はては上着の裾を引っ張られたりして、そばかすの残る陽に焼けた頬を紅潮させて当惑していた。
「私が食べ終わるまで待てと言っているのだ」と言いながら立ち上がるのを邪魔しているのが、その隣に座ったシチロウジだった。
他の連中も面白がって、口々に囃し立てる。
「ほらほら、モリハタ、副官殿もああ仰っているのだ。もう少し愛想良くしろよ」
「そうだ、そうだ。お前の憧れの副官殿に気に入られて、幸運な事じゃないか」
「ああ、何とも羨ましい限りだ」
「もう勘弁して下さいよ。そろそろ勤務に戻らないといけない時間ですし」
「ああ、その心配なら、もうすぐしなくても良くなるぞ」
「えっ?」
「司令官にお願いして、お前を私付きにしようと思っている」
これには、モリハタと呼ばれた若い兵士自身や取り巻きだけでなく、騒ぎを傍観していた他の隊員達も驚きの声を上げた。
「そんな馬鹿な! あ、いや、まさかその―――」
「こう見えて、私も結構多忙なのだ。お前が側にいて手伝ってくれれば、問題の処理も早まるというモノだ」
「・・・わ、私なんかとても。有能な先輩方はたくさんおられますから・・・・・・」
「お前でなければ駄目だと言っただろうが。それに、私は海は見たことがある程度だから、釣りをしたりとか潜ったりとかいうお前の経験を聞かせて欲しいな。私の気持ちは、最初にお前に話しかけたときに伝えたはずだが」
これには皆どっと沸いた。
笑っていないのは、当事者のモリハタとシチロウジだけだった。
「無論、司令官の元には毎日山ほどの陳情やら何やらが届くから、私のお願いを処理する順番が回ってくるのにはしばらく時間がかかると思う。しかし、お前のことはもうお耳に入れてあるから、遠からず裁定が下りる筈だ」
最後の部分を副官に顔を覗き込まれながら言われて、モリハタは席から飛び上がった。
「お願いですから、これ以上私に構わないで下さい!」
叫んで身を翻したが、しばらく前からその場に立っていたヒラザの胸にぶつかってしまった。
「申し訳・・・」
と言いかけ、首を巡らしてヒラザやその後ろの、カンベエ他一攻の面々の顔を見渡した。それから声にならない声を上げて食堂を飛び出していった。
副官の取り巻きが笑っている中、憮然とした表情のヒラザは、シチロウジの席の直ぐ側まで歩を進めた。
「失礼だが、副官殿。率直に申し上げて、少々お戯れが過ぎはしませぬか」
シチロウジはゆっくりと顔を上げて、ヒラザに視線を移した。
いくら泣く子も黙る第一中隊長とはいえ、相手は副司令官だ。一同に緊張が走った。
「そう見えましたか」
それだけ言うと、まだ食事を終えてはいなかったが、シチロウジは箸を置いて掌を合わせ、「ご馳走様」と言って席を立った。
食堂を出て行く副官の後を、すっかり肝を冷やされた様子の取り巻き達が追いかけていった。
ヒラザはその場に固まったままだった。その直ぐ後ろを通りながら、カンベエが囁いた。
(見事に動きを封じられたな)
(ああ、全くだ。何故この場で、ゴロウタの事など思い出させるような真似をするのだ)
(後で話がある)
(・・・解った)
「どうも腑に落ちん」
口を開いたのはヒラザの方だった。
「このところずっと、シチロウジはさっきの若いのにつきまとっていると聞く。一晩副官室に止めていたという噂さえ流れている。本気にしろ冗談にしろ、あいつらしくないと思うんだが」
「先日、無人の格納庫で二人を見たのだが、貴方には関係ないと言われてな。その口調が気になっているのだ」
カンベエは、数日前の出来事を語った。
ヒラザは聞きながら、会議室の高い天井を見上げた。雷電達の巨体がないと、まるで小惑星の上にぽつんと立っているような孤独感に襲われるほど、此処は何とだだっ広いのだろうと思っていた。
「ではあれは、俺にも黙っていろと言う合図だという訳か」
頂きますやご馳走様を、シモツキ村に来た頃のシチロウジはしょっちゅう省略して、その度にゴロウタに叱られていた。それを、子供同士の良い思い出話だとヒラザは言っていた。ヒラザ自身にとっても、可愛い弟分の思い出であったのだ。
「咄嗟にあそこで持ち出すなんざ、シチロウジも大したモンだ。俺の口を封じるのに、衆人環視の中、まさか貴方には関係ないと言うわけにもいかんだろうからな」
「全くだ―――何かあると、俺はにらんでいる」
「向こうがその気なら、こっちも隠密行動といこうか」
事態の急転を楽しんでいる風の相棒に苦笑しながら、カンベエも頷いた。
「あいつのは、隠密と言うより、陽動作戦に見えるがな」
そこで二人はハッとした。
「目標は、あのモリハタとかでは無い・・・・・・?」
それから二人は座り直して、最近の出来事大小について、改めて検証を始めた。
「俺のヘッドギアでいえば」とカンベエは右の耳を指さした。
「いつの間にか雑音が入っている。入っていることすら、シチロウジの行動の背後にあるらしい問題に気づくまで認識していなかった。気づいて始めて、他の状況も調べたというわけだ」
カンベエが自分で出したごく最近の統計結果を聞いて、ヒラザは渋い顔になった。
「ヘッドギアの不具合や誤動作の発生の報告を受けてはいたが、それ程とは―――ヘッドギアは、高層部を生身で飛ばしていく俺たち中隊のサムライにとっては命綱だ。万に一つも有ってはならぬ故障が、その万に一つ起こっているという訳か」
「雑音という程ではないごくかすかなものだから、今のところ支障ないのだが、いつからか判らぬのでは、この先、影響が徐々に拡大していっても気づかぬ恐れがある」
「うむ。人間の感覚器官は、慣れがその本質みたいなものだからな―――これは、思った以上に深刻な事態かも知れぬな、カンベエ。シチロウジの行動の真意は何処にあるのか、早急に確かめねばなるまい―――」
「もうすぐ部隊は、南と東の中立地帯を抜けて、北軍に好意的な諸国に接近する。接触があれば早々に戦闘激化は必至だ。危機を招く恐れのある芽は、早めに摘んでおかねば。急いだ方が良かろう」
(続く)
(2006.04.23, 05.03)