天翔けて
「来たっ!あれだ!」
二人の子供は同時に声を上げた。上げてから慌てて自分の口を両手で覆う。
村から離れた日暮れの淋しい丘の上に誰がいるわけではないが、誰にも気付かれずに来いと言われていた子供達は、戒めを思い出して用心したのだった。
二人が指さすのは、ほぼ真西の空が地平線と交わるあたり。陽が沈んだあとの残照で暗い朱赤に塗られた空に、これもまた沈みかけた三日月の薄黄色が鋭い光を放っている。
その三日月からほんの僅か南に寄ったあたりに、その輝きに隠れるように小さい光点が見えてきたのだ。
これに先立つ初夏のある日、慌ただしく帰郷した二人の兄貴分カンベエとヒラザは「おいそれとは戻れぬ所へ配属されることになった」と告げた。
彼等はそれぞれの弟分の身の振り方を決めた後、出立間際になって、「極秘事項だから決して口外せぬように」と念を押してあることを言い置いていった―――この日のこの時刻、この地点の上空を彼等の所属する艦隊が通過する、と告げたのだ。
「部隊がこの地を通過するのは後にも先にもその時のみ。恐らく再び互いにまみえることはあるまいから、決して逃すな。我らもその時刻、船から見下ろしておるからな」
その光点は本当に小さいものだった。それと教えられていなければ、周囲の星と見分けが付かないほど小さく儚げな光だった。
見守るうちに、芥子粒のように小さいままで次第に明るさだけを増していった。増しながら西から天頂目指して少しずつ天球を上昇していき、ついに二人が立っている丘の真上にさしかかった。
頭上に近づくにつれて、光点は更に小さないくつかの光の集まりであることが分かった。よく目を凝らせば、かすかに青や黄、赤に色付いて輝いているのが見て取れる。一部は点滅しているようにも見えたが、小さすぎて確かなことは言えなかった。
「あれだね、シチ坊。あれだね」
「うん。ゴロウタ。あれだ」
二人は無意識に互いの腕や着物を握りしめ、繰り返し呟きながらその光点の動きを見守った。
「あに様達はどの色に乗っているんだろう」
「うん、どの色だろう」
一人が呟くともう一人が応じ、再び目を凝らす。
シチロウジもゴロウタも、永遠にその光を見ていたいと願った。
二人の子供の願いも知らぬげに、輝く芥子粒はひそやかに空の高みを通り過ぎていき、次第に東の彼方へと遠ざかっていった。再びひとつの光点に解け合うと、小さく小さくなって・・・やがて星のまたたきに紛れて見えなくなってしまった。
見えなくなっても、子供達は光の消えたあたりを見続けた。
シチロウジの袖を掴むゴロウタの手に力がこもった。空に目をやったまま呟く。
「シチ坊・・・おいら、嫌だ。行きたくない・・・」
次第に嗚咽に変わる声を聞きながら、シチロウジも視線を空に据えたままゴロウタの体を引き寄せる。
「シチ坊・・・シチ坊・・・」
ゴロウタは涙を流しながらすがりついた。
「ひとりは嫌だ。ずっと一緒にいたいよ・・・行きたくない・・・・・・」
必死に押さえようとしながらそれでも漏れてくるゴロウタの泣き声が次第に大きくなる。その体を無言で支えるシチロウジの手にも更に力がこもる。
泣きたい思いは同じだった。しかし、シチロウジは泣かなかった。別れの悲しみや心細さよりも強い感情がその心に生まれていたのだ。
―――きっと追いつく! おいらもこの空を翔けて行って、いつか必ず、あに様に追いつく!
それは希望でもなく決意ですらなかった。内側からシチロウジを突き動かす、純粋に強い衝動だった。
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻したゴロウタが、頭ひとつ背の高いシチロウジを見上げた。辺りはすっかり暗くなり、上空は星々に足許は虫の音に満たされている。暗闇でゴロウタの泣いて掠れた声が囁いた。
「シチ坊・・・シチ坊、大丈夫かい。体が震えているよ」
「・・・・・・」
言われて初めてシチロウジは、強い思いが全身を満たすにつれて体に力が入り息を詰めていたことに気が付いた。
ホーッと息を長く吐いてから吸い込む。
「大丈夫だよ。ありがとうゴロウタ」
「ねえ・・・シチ坊とはまた会えるかな」
「うん。きっと会える」
反射的にそう答えながら、シチロウジは年下の相棒のしなやかな強さが羨ましかった―――素直に感情を吐き出した後は、気持ちを切り替えて新たな一歩を踏み出そうとしている。
自分は―――自分はいつまでも未練がましく、カンベエとのほんのささやかな繋がりでも探し出そうとあがき続けるに違いない。これから行くところが士官学校だということは何の助けにもなるまいと、子供心に何となく予感めいたものもあった。
この強い思いが体を弾き飛ばすことが出来るなら、翼を持って生まれたかのように、いっそあの天空を翔けて行ってしまいたい・・・
シチロウジは東の空を睨み続けた。
その東の空を、今またシチロウジは睨んでいた。入学して初めての冬が直ぐそこまでやって来ていた。
場所は学校のとある一棟の屋上。そこはいつの間にか、寮の自室以外の、一人で夜を過ごすための場所になっていた。
朝靄に山脈がかすんで見える。その向こうから、新しい一日を告げる光の先端が覗いていた。
初冬の夜明けの冷気にシチロウジは思わず身震いし、自分の体を抱きかかえた。殴らせた痕が軋む。
「もうたくさんだ」
入学直後から、シチロウジは目立つ存在だった。
淡く輝く金髪と空色の瞳という、東方(ひがしがた)の人々とは明らかに異なる容貌がまず人目を惹いた。学科や実技で抜きん出て更に耳目を集め、憧憬と嫉妬の対象になった。程なく、身寄りもなくこれといった後ろ盾もないらしいと噂が広がり、自身を「おいら」と言うような村言葉が嘲笑の的になり、からかいや意地悪も受けるようになった。
入学したとき特に身構えていたわけではなかったが、シチロウジの性格ではそれらをまともに受け止めざるを得なかった。
カンベエではなく物売りの言葉の方が正しかったとシチロウジは思った。
こいつらがサムライになどなるものか。カンベエ様やヒラザのあに様のような在りようをサムライというのだ。こいつらは全くの別物だ。
「それだけ頭も良くて腕も立つなら、さぞかし由緒ある家柄の出に違いない」
「当たり前だ。お前ら張りぼてとは基礎の出来が違う」
きっかけは色々だが、その後は大抵乱闘になった。
全学の人気者になるかと注目された新人が大法螺吹きの浮浪児と渾名されるのに時間はかからなかった。
そして今朝、屋上で「もうたくさんだ」と呟いていたのだ。
教官の顔が浮かんだ。唯一自分の在りようを気にかけてくれているらしい担当の指導教官の、温厚で辛抱強く、時に苦笑する顔。
「お主の資質は自身の言葉を裏切らぬ。私にはまだ待つ時間はあるからな」
その彼から何度目かの呼び出しを受けていた。これ以上迷惑をかけられないとも思う。
「今日こそ教官に許可を貰う。貰えないときは飛び出すまでだ」
シチロウジは立ち上がった。意を決した顔を朝陽に向ける。それから出頭するため屋上を後にした
離れて対になった建物の一室から遠目にその姿を見ている者があったのを、シチロウジは知らなかった。
程なく、シチロウジは教官室の扉を叩いた。
「今ご覧になった、対屋の屋上にいた生徒です」
早朝尋ねてきたかつての上司オオガヤに応対していたタカムラは、そう告げてから入室を許可した。
「シチロウジ、入ります」
扉を開けたシチロウジは、普段とはかすかに違う部屋の空気に気が付き、用心しながら一歩を踏み入れた。部屋には教官と自分以外誰もいないようだが・・・
「ご命令により出頭いたしました」
「早朝から足労をかけたな。こちらへ」
執務机の前まで生徒を呼び寄せると、タカムラは改めてその姿に見入った。
制服を着て、金髪は紐できっちり結んでいるが櫛目が通っていない。ということは、あの屋上には昨夜からいたらしい。この頃はよくあることだ。
しかし今朝は、いつも見られる性急さが影をひそめ、何かを思い定めたように静かにそこに佇んでいる。
「医務官の予想より早く動けるようになったと聞いたのでな。今朝は急な会議が入った故呼び出しておいて余り時間はないのだが・・・この度は珍しく袋叩きにあったわけを聞かして貰えるか」
「言わねばなりませんか」
「相手は僅か五、六人だろう。いつもはその十倍を蹴散らしておるのに」
「・・・・・・意地を張ったり張らなかったりということが、急に莫迦らしくなりました。そう思ったら抵抗する気が失せてしまって」
「それで大の字に寝て好きにさせた訳か」
視線を逸らさない生徒のその空色の瞳は、室内故に幾らか陰ってはいたが、最早怒りも焦燥の色もなかった。
「これを機に御願いが」
シチロウジが話を切り出そうとするのを制してタカムラが口を開いた。
「退学の話なら、答えは再び否、だ」
先回りをされて内心舌打ちしながらも、シチロウジは食い下がった。
「大法螺吹きの浮浪児の面倒をこれ以上見ていただくわけにはいきません」
「と言うことは、お主、私を気に入ってくれてはいるのだな」
教官の思いがけない言葉に、シチロウジは口をつぐんだ。何故その様なことを言い出すのだ。
「まだ誰にも話しておらぬこともあろう。私で良ければ、通りすがりにでも呟いてくれて構わぬが」
「・・・その様なことは・・・何もありません」
話の腰を折られて、屋上での決意は揺らいでいた。何故彼はこうまで気にかけてくれるのだろう。そう考えると、先程からの懸念が頭をもたげてきた。
「・・・教官殿。これは何かの試験でしょうか」
「どういう意味だ」
「正直に申し上げます。先程から我らとは別の気配がして気になっております」
タカムラはほおと感心したが、何食わぬ顔で答えた。
「我らの他には誰もこの部屋にはおらぬ。調べてみるか」
「御免」
好奇心を刺激されて、シチロウジは遠慮することなく教官室を見回した。さほど広くない室内で人が隠れることが出来るのは執務机の背後にある衝立の陰のみ。
そこには椅子と小さなテーブルが置かれていたが、人の姿はなかった。しかし何者かの気配は変わらずにあった。
ここに誰かがいたのは間違いない。
「気が済んだか」
「はい。失礼いたしました」
「ゆっくり話をしていたいが、間もなく会議が始まる。午後の教練を終えたらまた顔を見せてくれるか」
「承知いたしました。シチロウジ、退ります」
敬礼して退出する生徒を、タカムラはうなずいて見送った。
溜め息をひとつついて振り返る。そこには、シチロウジの入室より一瞬早く隣室に姿を消したオオガヤが戻っていた。
「お主を引き抜きに参ったはずが、思わぬ拾い物をしたようだ」
「大法螺吹きの浮浪児・・・とうとう、自分でも口にするようになってしまいました」
「それ程に学校を嫌っておるのか。落ち着いて見回せば、学校も捨てたものでもないのだがな」
「私も、先ずはそれに気付かせたいと思っております」
「それに、慌てて退学せずとも三年もあれば卒業できように」
「閣下・・・閣下の頃とは時代が違います。今では講座もほぼ固定されて・・・」
衝立を押しのけて再び腰を下ろす元上官を目で追いながら、タカムラは腕組みをしてみせる。
「全くないわけではあるまい」
「・・・」
タカムラはわざとらしく溜め息をつき、それを無視してオオガヤは言葉を続けた。
「無論、資質とそれを開花させ得る精進があれば、だ。そもそも学校(ここ)におるということは、誰かがそれを見出した故であろう」
「仰せの通り」
タカムラは抽斗から書類を取り出してオオガヤに手渡した。
「シチロウジ―――シマダカンベエ徒弟」
オオガヤは感慨深げに声に出して読んだ。
「今時、徒弟という表現は珍しいな」
「やはり閣下のお目はまずそこに止まりましたか。懐かしい言葉ですな。我らの世代では、徒弟や助手として戦さ場に連れて行っていただいた者が多くおりました」
駆け出しの頃を懐かしむかつての部下をチラと見た後、オオガヤは再び視線を書類に落とした。
「難民か・・・よくぞ拾い上げたものだ。しかしこの後見人は、何故名字を与えなかったのだ。学校での立場に影響することは存じておろうに」
「その後見人、シマダカンベエと申す者からは添え状が出ておりました。本人が望むならおのが姓でも村の名でも好きなものを名乗らせてやりたいと」
「それをいずれも拒んで名無しのままか。昨今の戦さに覆い尽くされた世、武家にあらずんば人にあらずの風潮著しい。この後サムライを目指すなら、名字が無くては生きにくかろうに・・・」
「閣下」
「何だ」
「早や三年後を期待しておられますな。確かに可能性は否定しませぬが」
タカムラのからかうような視線をオオガヤは受け流した。
「この調書によれば、大層な大口を叩いておる。まずはお手並み拝見といこうではないか」
「あまり煽らないでいただきたいですな。おだてると調子に乗るところもあります故」
「直接には何も言わぬ。顔を合わせることがあるとすれば、それはこの大法螺吹きが見事卒業するときだ」
「・・・すっかりその気になっておられる」
再びわざとらしく溜め息をつく腹心に、オオガヤは僅かに口角を上げて見せた。
「儂もそろそろ戻るとしよう」
立ち上がったオオガヤは、タカムラに真っ直ぐ顔を向けた。
「次に不平を申したら教えてやってくれ、ここから疾く飛び出す方途をな」
それからタカムラの前を横切って窓辺へ行き、先程までシチロウジがいた対屋の屋上に視線をやった。
「三年後、お主が伴って共に儂の許へ参れ」
「承知いたしました」
オオガヤの視線は、屋上を通り越してその先の朝陽に向けられた。
教官室を辞した後、寮へ戻ろうかどうか迷っていたシチロウジも、渡り廊下から同じ朝陽を見つめていた。
(終)
(2007.04.22)