衝 (六)



シャラシャラシャラ・・・と箔が触れ合うような音で、カンベエは目を覚ました。

小雨が降って周囲の地面は濡れているが、カンベエの頭上には大木の樹冠が広がって屋根の代わりをしていた。
雨の降り始めの気温の変化で起こる風が、この木の葉を揺らしていたのだ。
木に寄りかかったままで空を見上げる。明るい灰色から推して、この雨、直に止むだろう。

今日はどうしようかと、カンベエは考えた。
いつもの調子で歩いていけば、この近辺では随一の都会に入ってしまう。
都会と言っても、終戦以前の本物の都会を知っているカンベエの目から見れば、田舎の町に過ぎないのだが。

町の賑わいは好きでも嫌いでもないつもりだったのだが、実は苦手らしいと言うことを、放浪を始めてから気が付いた。
大戦中、まだ地上部隊にいた頃、休暇には仲間と連れだって町に繰り出したものなのだが、何を楽しみに出かけていたのか思い出せない。ヒラザに誘われて田舎住まいを始めたのは、その辺りのことと関係があるのだろう。
頭上の大木は、村の小屋の側にあったクスノキを思い出させる―――いや、今は思い出話は止そう。起きたばかりだ。


勢いをつけるようにして立ち上がった所に、シャンシャンと鈴の音が聞こえてきた。
音のする方に目をやると、杖をつきながら歩いている集団がカンベエの方へやって来るところだった。

彼らは巡礼だった。
とりどりの色の貫衣の上から、これもとりどりの色の帯を締め、菅笠の者もいれば、布帽子を被っている者もいた。皆等しく杖をついている。その杖が地面を打つときに、杖の上部に付けられた小さな鈴が鳴っているのだった。
集団はうつむき加減で一心に何事か唱えながら歩いていたので、カンベエが道から引っ込んだ木立の中にいるのに気付かなかった。

カンベエは、目の前を通り過ぎていく集団を見るともなく見ていた。
老若男女合わせて十名。男女の年代見本のような集団だった。
小雨の中を歩いてきたらしく、着衣が湿り気を帯びている。笠をかぶっている者は、まだましだった。
早朝から、濡れそぼっても行かねばならぬ道程でもあるのだろうか・・・・・・

集団の後ろの方に、幼い者達が付いていた。皆、小さい菅笠をかぶっている。
その中の、赤ん坊を抱いた一人が、カンベエに気付いた。
「あれ、あんた・・・この前の・・・・・・カンベエさん!」
「・・・コスケか」
コスケの声で振り向いた一行は、道端の藪越しに長い髪に軍服姿の男を見つけて、怯えたように列を乱した。

コスケがカンベエに駆け寄る。
「あんた、また野宿か」
「他にあるか」
「まあね」
「あの翌朝別れた後はどうしているかと心配していたが、その様子では、取り越し苦労だったようだな」
二人が親しげに言葉を交わすのを見て、大人達も恐る恐るだが、近づいてきた。
藪をかき分けて道に出てきたカンベエを、子供達が珍しそうに取り囲む。
「このおっちゃん、髪ボサボサで、草紙に出てくる山男みたいだ」
一人が言うと他の子供達も口々に囃し立て、途端にキャーキャーと騒ぐ声で先程の厳粛な行列の雰囲気が消え去ってしまった。

最年長と見える老人が進み出た。子供達はたちまち静かになる。その見事な統制ぶりにカンベエは感銘を受けた。
「あなたですかな、先頃コスケの命を助けて下さったというのは」
「結果的にそうなっただけのこと。こちらこそコスケには借りがあります」
カンベエは腰に下げた竹筒を、チラとコスケの方に示した。コスケは嬉しそうに笑顔を見せた。
「どうやら、挨拶は簡単には済まぬようだ。どこかで休むとしようか」

中年の男女が相談した後、老人に耳打ちする。老人は頷いた。
「この先に、急時に備えた小屋があるのだが。しばしそこで如何かな。お急ぎでなければだが」
「ご覧の通りの山男ゆえ、時間は幾らでも」
互いににっこり笑うと、「少し歩くが」と言いながら老人はカンベエに方向を示して歩き始めた。その後に大人達が従う。

列の途中でカンベエと並んだコスケは、前回のように言葉は少なめだったが、表情は明らかに親しみを浮かべていた。それが他の子供達に伝わったのか、皆カンベエの周りをつかず離れずして付いてくる。
コスケが布にくるんだ赤ん坊を何度も抱え直しているのを見て、カンベエは手を差し出した。
カンベエの腕に渡された赤ん坊は見慣れぬ顔をじっと見ていたが、やがて頭をもたせかけて眠ってしまった。コスケがそれを、布でそっと覆ってやる。

詠唱を止めた一行は、静かではあるがウキウキした気分を漂わせて、道を逸れて林に入っていった。



「これはかたじけない」
久しぶりの茶の香りにカンベエが頭を下げると、盆を差し出した女は恥ずかしそうに小さく頷き、皆に配り終わると子供達の所へ戻っていった。

一行が林の奥の小屋に落ち着いたのを見計らったかのように、雨脚が急に強くなった。

「ここは巡礼用の避難小屋でしてな」
一座を代表するように、老人が口を開いた。
「天候の急変や急病人などあれば、自由に使って良いことになっております。近隣に住まう人々が、非常食や薪などを用意してくれるのですよ」
「巡礼の方々を手厚くもてなす話は伺ったことがありますが、目にするのは初めてですな」
「シマダ殿にお会いせねば、我ら、ずぶ濡れになるところでした」
「それはこちらも同様。子供達が濡れずに済んで幸いです」
「お優しいことだ」
老人が言葉を、その意味の通りに考えて口にしたのは判っていたが、カンベエは思わず苦笑してしまった。
「これは失礼。古い友人の口癖を思い出しましてな」
―――友人、か。何が友人なものか。
失った者に向かってつい流れて行きそうになる意識を、カンベエは目の前の人々に集中しようと努力した。
老人は頷いただけだったが、何故か、全て心得ていると言っているように見えた。

それから、他の子供達とは少し離れた所で一人こちらを気にしていたコスケを呼んだ。
「ここへおいで」
コスケは待ってましたとばかりに自分の前に置かれていた荷物を飛び越えて、カンベエの傍らに座った。
「こら、タカラマル。お道具を超えてはいかんと何度・・・」
大人達から口々に小言がかけられる。叱る大人達と荷物に向かって、コスケは床に手をついて深々と頭を下げた。
「御免下さい」
それから顔を上げてカンベエを見、にっと歯を見せて笑った。

「俺を信用してはいなかったという訳か」
「えへへ・・・コタロウは、さっきカンベエさんが抱っこしてくれたあの子の名前さ」
と屈託なく笑ってから、老人の方を向いた。
「さて、改めて礼を申さねばなりますまい。これは名前の通り、我らにとっては大切な子供・・・」
大切な子供―――老人の言葉がカンベエの胸に刺さる。
その想いを振り払うため、カンベエは話題を変えた。

「ご一同は・・・失礼ながら、武家の流れとお見受けするが」
「いかにも。故あって、かように聖地を巡る暮らしを始めましてな。タカラマルはしばしば勝手をする故、危ない目に遭うことも珍しくない。どの子も等しく大事ではありますが、特にこれは・・・」
老人の言葉に本人ははにかんだ笑みを浮かべた。周りの、相変わらず言葉少ない大人達からも、同意の息遣いが伝わってくる。



静かに、しかし次第にうち解けて会話が続けられて数時が経ったが、雨脚は弱まる気配を見せなかった。

今日はこのままここに足止めか、などど話しているところに、いきなり戸がガタガタと鳴らされた。
女子供を奥の方へやってから、男の一人が戸のつっかい棒を外そうとしたが、カンベエの耳に複数の男の声が聞こえた。自分が出ようと言って皆を後ろに退がらせてから、カンベエは巡礼の杖を手にして戸に手を掛けた。

「外に誰か居られるのかな」
「・・・暫く軒下をお借りしたい・・・」
老人を見ると、頷いている。先日コスケを追ってきた男の声ではないかと疑いつつも、この雨では拒否するわけにもいくまいとカンベエも思い、体をかわすとゆっくりと戸を開けた。

正面にいたのは確かにかの男だった。カンベエの顔を見て動きが止まったが、後ろにいた二人がその背中を押すようにして小屋になだれ込んできた。
「邪魔するぜ」
「お、あの小僧・・・」
男達はタカラマルを見つけると、色めき立った。
「まあ待て」
立ち塞がったのは、かの男だった。
「何をする、アライ。例のガキだぞ」
「ここは巡礼用の小屋だ。騒ぎは控えろ」
「何が巡礼だ」
男達は自分たちを見守る男女を見渡した。
「邪魔するなら、ついでに片付けちまえばいい」
「そうだ」ともう一人も応じる。
「ガキの連れなら、尚更だ」
凄味をきかせた笑いを漏らすと、小屋の戸を閉めた。


「ここで狼藉を働くというなら、即刻出ていって貰おう」
カンベエはアライと呼ばれた男の隣に立ち、杖をついて二人を睨みつけた。
「お前ら知り合いか。アライ、仕事を投げ出すなら覚悟は出来ているんだろうな」
アライに一瞬ためらいが見られた。
「止めろとは言っておらん。ただ、小屋の中では・・・」
「つべこべうるせえぞ!前から気に入らなかったんだ。ここで決着をつけようじゃないか」
一人が斬りかかったが、それをアライは難なくかわして逆に払いを掛けた。

「立ち回りは迷惑だ。仲間割れなら外でやってくれ」
カンベエが口を挟むと、もう一人が「てめえも片付けてやるぜ!」と刀を抜いて突っ込んできた。
それを打ち据えながら、カンベエは巡礼の一人に戸を開けるように合図した。
それを見て、アライは相手を圧倒しながら外へ追って出た。
「しっかりとつっかいをしておきなさい」
言い置くと、カンベエも男達を追って外へ出た。


外にはアライが一人、雨に打たれて立っていた。
「逃がして良かったのか」
カンベエの問いかけに、静かに口を開いた。
「子供の前で斬り合いは見せたくなかったのでな、手加減をしてしまった。この後が少々面倒だが、何とかなるだろう」
「連中、覚悟が何とかと言っていたが・・・」
「それは俺の問題だ。お主には関係ない」
「確かに・・・」
「ではこれで」
「雨が上がるまで小屋に止まらぬか」
「連中がおそらく、戻ってくる。迷惑はかけられぬ」
「一同を庇ってくれた礼だ。手を貸しても良いが・・・」
カンベエに促されて、アライは共に小屋へ向かって歩き始めた。

「・・・お主の腕ならば助けになろう・・・・・・あの者達はお主の連れなのか」
「巡礼か。いや、たまたま行き逢っただけだ」
「・・・・・・」
「子供が気になるか、アライ殿とやら。俺は一向に構わんぞ。斬らねばならぬ時、斬らねばならぬ所ならば、斬る。それだけだ―――例え、幼子の目の前でもな」
カンベエのきっぱりとした口調にアライは驚いた顔をしたが、ややあって頷いた。
「お主・・・やはり、大戦中はサムライだったか。名は何と言われる」
「シマダだ―――お主もな、アライ殿」


小屋の中の一同に二人が戻ったことを告げてそのまま軒下に佇んでいると、タカラマルが手拭いを持って出てきた。
間をおいて、老人が男を一人ともなって姿を見せた。お主に頼みがあると言って、カンベエを中に招き入れる。
「これをお主に預かって欲しいのだ」
そう言いながら、男に持たせていた細長い包みを受け取ってカンベエに手渡した。

カンベエは手の中でその重さを量った。
「これは・・・・・・刀ではござらぬか。しかも、おそらく大戦中にサムライが使った」
「当家にはもう、その刀を必要とする者も、扱える者もおらぬ故・・・」
「・・・・・・何をお望みか、見当は付きます。御免」
カンベエは包みを解くと、スラリと刀を抜き、顔の前に掲げた。

小屋の全員がそれを注視している。
「この老生の願い・・・是非とも、頼まれて・・・頂きたい」
それまでゆったりと話していた老人の絞り出すような声に、巡礼達はハッとして駆け寄ってきた。
「大事ない、大事ない」という老人を、皆で支えて上にあがらせる。

刀に視線を戻したカンベエは、手の中の存在を感じた。
この重み。柄を握り込んだ時のこの感触。そして・・・この透徹した輝き。
一旦鞘に収めると、カンベエは小屋の外に出た。雨はいつしか小降りになっていた。


雨雲の切れ間から、午後の陽が射してきた。再び抜きはなった刃に雨粒が絡み、反射する。
カンベエは、軽く振ってみた。ヒュンと空を切る音が耳に懐かしい。
もう一度。更にもう一度。

刀に気が集中し、カンベエの心が高ぶるのに共振するかのように、刃が振動を始めた。
これで、かつては機械の体を斬って捨て、船体さえも切り刻むことが出来たのだ・・・・・・
カンベエの内部で眠っていた何かが甦り、頭をもたげてたぎり始めた。

俺は、やはり、サムライであったのだ。そうありたいと望もうと否とに関わらず。
刀を手にして斬る。それだけの存在。そのための存在。
そして、この刀もまた、所有されることを望んでいる。誰かの手によって振るわれることを・・・
これも、一つの出会いと言うべきか。
カンベエは刀身を鞘に戻すと、刀に己を込めるように押し戴いた。

アライはこの一部始終を、カンベエの顔に表れたサムライの印を、賛嘆の念を込めて見ていた。
「お主と斬り合わずに済んで、命拾いした思いだ」
カンベエはそれにはかすかに笑みを見せ、小屋の方を振り返った。
戸口に老人が出てきていた。それを囲むように一団の全員が立っていた。赤ん坊さえもタカラマルに抱かれて。

「・・・どうやら、連中、お出でなすったようだ」
彼方に目をやったアライはそう言うと、先に立って歩き始めた。
一同に向かって頷くと、カンベエもその後を追って歩き始める。



「老人に何を頼まれたのだ。おおよその察しはつくが」
近づいてくる男達の集団に対して歩みを進めながら、アライが尋ねた。
刀を抜いて先頭の数人に向かって次第に歩を早めながら、カンベエは答える。
「ご老体に万一のことがあれば、あの一団は求心力を失って、おそらく崩壊してしまうだろう・・・」


それだけ言うと、カンベエは駆けだした。そして、斬る。先ず一人。

もう一人。

更に一人・・・・・・


(終)   


(2006.07.23)

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