(三)



暗闇の中、目を射るような光が炸裂し、大きな音が繰り返し轟いて足許を揺らし、立っていられなかった。
人々の叫び声が、轟音にかき消されながら交差する。

シチロウジは他の子供達に混じってしゃがみ、小さな手で耳を塞ぎながら周囲を見回して大人の姿を探した。
この轟音にも目を開けていられない閃光にももう慣れたが、それでもどんなに頑張っても、体の震えを押さえることは出来ない。

歯の根の合わない顎をガチガチ鳴らしながら、シチロウジは誰かの名前を心の中で呼んで、這って逃げだそうと―――手をつこうとして頭から転んでしまった。起きあがろうとするが、何故か体を支えられない。
漸く起きあがって見回すと、手がない―――無いのか、縛られているのか分からないが、手が使えない。

やっとの事で立ち上がり、誰かの名前を叫んで走り出そうとして、また転んだ。
今度は、コロコロコロコロとどこまでも転んで、永遠に転び続けるのかと思う程長い間転んでようやく止まった。止まった所は、空に浮かんだ巨大な船の上だった。

見上げると懐かしい誰かの顔が現れて、軍服の手をさしのべてきた。それを掴もうと手を伸ばしたが、掴めなかった。やはり、手がなかったのだ。
全身から冷や汗が吹き出した。また、体が震え始める。

震えながら、シチロウジは目を覚ました。
歯をガチガチ鳴らしながら寝返りを打ち、無意識にあに様あに様・・・と呟く。

夢の中のように辺りは暗く、どこからともなく月明かりが差しているのがわかった。
ぼんやりとだが、目の前に黒い影が見える。誰かがこちらを向いて横になっているのだ。

シチロウジは影の方へ手を伸ばした。

また怖い夢を見てしまった。助けて。動悸を静めて・・・
あに様―――そこにいるの。また腕枕してくれるの。
いつもなら、腕枕で十分耐えられる。いつもなら、しがみついたりはしない。
でも今度ばかりは我慢できない。
しがみつきたい。しっかりとしがみついて・・・・・・・・・もう怖い夢を見なくて済むように・・・・・・

目の前の影にしがみつこうとして、シチロウジはまた転んだ。
転んで―――今度こそ本当に目を覚ました。


右手で体を支えて起きあがると、月の蒼い光の中に呆然と座り込む。
暫く前からユキノの切り盛りする料亭「蛍屋」に世話になっていたのを思い出した。

目の前には、誰もいなかった。
中庭から障子越しに差し込んだ月明かりが、自分の影を部屋の壁に映していただけだったのだ。

ひとりぼっち・・・

何気ないふりをしてやり過ごしてきたこの状況を、今夜はどうすることも出来ない。
このひどい孤独感と喪失感に、今夜はどうやったら知らん顔を決め込むことが出来るのだろう。
耳の奥で夢の声がこだましている。しがみついたりしないから・・・・・・腕枕・・・して・・・・・・

いつの間にか全身に力が入って強ばり、息が苦しくなって、残った右手で自分を抱くように体を折り曲げていた。いつもなら唇をキッと引き結ぶだけで済むのに、今夜はギリギリと音がするほどに歯を食いしばっているのが自分でも分かった。意識は考えることを放棄して、折れ曲がったまま窒息しそうな体を眺めている。



不意に誰かの手や体が触れてきて、シチロウジの体を包み込んだ。
霞んだ目を上げると、肩が目の前にあった。
(ユキ・・・ノ・・・殿・・・?)
いつ入ってきたのか、全く気が付かなかった。
シチロウジはかすかに首を振って、一人にしてくれと訴えた。

「いいえ。ほっとけるもんですか・・・こんなになって・・・・・・」
シチロウジを抱く腕に力がこもった。
「・・・泣くときは、我慢しちゃ駄目ですよ。声を殺して泣いても、ちっとも良いことなんかない。大声出して、遠慮無くわめき散らして構わないんですよ」

ユキノは立ち膝のままで、強ばって小刻みに震えるシチロウジの体をしっかりと抱きとめた。
「辺りには誰もいないから平気ですよ。さ、息を吐いて、声を出して・・・声を・・・・・・」
自分の胸に体を預けたまま首を振り続けるシチロウジに言葉をかけながら、ユキノの方が涙声になる。



暫くして、シチロウジは漸く落ち着いた。
ユキノの腕の中で少しずつ力が抜けて震えが止まり、普通に息が出来るようにはなったが、結局いつものように、声も出さず涙も流さなかった。

「もう大丈夫です」というシチロウジの呟きで抱いていた腕を解くと、ユキノは座り直して目の前の、月明かりをそのまま帯びたような色合いの顔を覗き込んだ。暫く無言で見つめあう。

「時々あるんですか、こんな事」
優しく問われて、シチロウジは首を横に振った。
こんな、何かの発作みたいにひどいのは初めてですと言おうとして、それではかえって心配をかけると気づき、黙っていることにした。

「・・・月明かりに誘われて中庭に降りようとしてたら、お部屋の様子が変だったから。呼びかけても返事がないし・・・・・・余計なお節介だと思うでしょうけど、あたしにはどうしてもほっとけなくって・・・」
シチロウジは礼を言おうと言葉を探したが、相応しい言葉が見つからず、無言で頷いた。

ユキノは、乱れて額や頬にかかったシチロウジの髪があまりに痛々しく見えたので、手を伸ばして掻き上げ、袂から取り出した手拭いで汗を拭いてやった。そうしている間に、無性に情けなくなってきた。

店(ここ)に移ってきて貰って、ひと夏が過ぎたというのに・・・
あたしはこの人に、まだ何もしてあげることが出来ない・・・
まだ何も・・・・・・

心の臓がドクンと打ち、突然襲った強い感情に戸惑って、ユキノは立ち上がった。

「あたしはこれで―――あとはゆっくりお休みになると良いですよ」
急いで部屋を出ようとする後ろ姿に、シチロウジも慌てて声をかけた。
「ユキノ殿。礼を・・・何と言えばよいか・・・・・・礼を言います」
立ち止まって半分だけ振り向いたユキノは、軽く頷いて、そのまま出て行った。


ユキノが去った方に視線を向けたままでシチロウジは、自分が心の中で或る考えを転がしていることに気が付いた。

上手くかわしたつもりでもひょっこり後ろから追いついて、いきなり食らい付いて来る、孤独感というもの。
自分を責めさいなんできたそれが、牙の勢いを幾らか弱めたような気がしていた。
それが誰のお陰なのかは、分かっている。

では先程のアレは、一体なんだったのだろう。
何が、あのように激しい反応を引き起こしたのだろう。
軽くなっていく孤独感とは別の何かがあるのだろうか・・・


今し方見た夢がどんなものだったか。今度もやはり忘れている・・・・・・・・・腕・・・確か、腕が・・・・・・
左腕―――左腕。どちらの左腕?・・・腕枕をしてくれるカンベエ様の? それとも失った自分の?

膝の上で握った右手の拳が光っているのに気が付いて視線を巡らすと、ユキノが閉め残した障子の僅かな隙間から、ことさらに蒼白い月の光が差し込んで来ていた。
敷居から自分の体を通って反対側の壁まで、畳の上に細いがハッキリした光の道が出来ている。
その道の源を辿るように、シチロウジは立ち上がって縁側に出た。



自室に戻ったユキノは、もう月見どころではなかった。
突然の動悸をまだ押さえられないでいた。
「あたしったら・・・」

なぜだか今夜は寝付けなかった。
砂漠に開いた大穴に出来た町の最下層、そんな地の底にいては中々見られない、珍しく冴えた月明かりのせいだと思っていたが、それは違っていた。それとなくあの人のことを考えていて、目が冴えてしまったのだ。
これからどうしたら一番良いのだろうと、何を手伝ってあげれば良いのだろうと思いを巡らしていた。

そして、あの姿を見てしまった・・・
誰にも分からないところでずっと一人で苦しんでいたのに、あたしったらお目出度いことに、自分の気持ちだけでお節介の算段をしていたんだ・・・・・・

何の役にも立っていないというもどかしさ―――悔しい。
そう思うと、心の臓がドクンと大きく一つ打つ。
自分が何をしているのか分からなくなってきた―――自分を見失うなんて、こんな事、初めてだ。

障子越しに射し込む月の光は、いっこうに衰えを見せない。そろそろ空が白み始めても良い頃なのに、今夜の月は、一体どうなっているのだろう・・・
障子を開けかけて、中庭にシチロウジが佇んでいるのが見えた。

月を仰ぎ見ているのか、顎を上げて右手を上方に伸ばしている。
ユキノには、シチロウジの手の指し示す高みから彼の呼びかけに応えて蒼白い光が腕を降ろし、この孤独な人を包み込んでいるように見えた。
肩まで伸びた金色の髪が、月の光と同じように蒼白く燦めき、燃え立つようだ。
そして、こんな時刻に蛍が数匹。佇むシチロウジの周りを、同じように蒼白く光りながら飛び交っている。
冷たい、蒼い焔。
この人は、それを灯し続けたまま、生きていくのだろうか。





次の月にも、シチロウジは発作を起こした。
今度の月も、前回同様にことさらに冴えた光を地底に投げかけてきた。

新月から上弦、満月へと秘かに用心していたユキノは、満月が過ぎて幾らか安心し始めていたが、発作はその期待を裏切るように襲ってきた。その上、前回よりも激しかった。
待ち構えていたからといって、何が出来るものでもない。防ぐことも軽くしてやることも出来ない。
強ばって震える体を抱きとめてやるだけだ。



発作が治まった後、シチロウジは再び中庭に降り立った。真夜中を過ぎているのに、どこからともなく蛍が集まって来る。ユキノは縁側に座って、その蒼い焔を見つめていた。
夜更けに月明かりの中に佇む姿を見て、ユキノは古い言い伝えを思い出した。
―――月に魅せられた者は、いつしか現世(ここ)との絆を断ち切って、何処かへ消え去ってしまうという。

シチロウジを「失う」という考えに胸が張り裂けそうになったが、ユキノの口から出た言葉は冷静だった。
「こんな事が続くようなら、お医者に診て貰った方が良くはありませんか」
振り返ったシチロウジが無言で見つめるのにどぎまぎして、慌てて言葉を継いだ。
「見立てをと言うより・・・あの先生と何かお話しでもしたら、少しは気が紛れるかと・・・・・・」

「多分、これからは、もう発作は起きないと思います」と、まるで他人事のようにシチロウジは答えた。
ユキノの方に戻ってくると、肩に蛍をとまらせたまま、庭へ降りる石段の途中に腰を下ろす。
「確かですか。お体に障るんじゃないかと心配で・・・」
シチロウジは「そんな気がするだけですけど」と言って、ユキノに柔らかな笑みを向けた。

右手を上げると、肩から移ってきた蛍が掌から飛び立っていった。それを見送って、また笑みを浮かべる。
ユキノの心の臓がまた一つドクンと打った―――この人のこんな表情には、どうしたらいいのか分からなくなる。

シチロウジは、それ以上の根拠は言わなかった。確信ありげな口ぶりに、ユキノはその言葉に従うしかなかった。理由があるはずなのに、自分には打ち明けて貰えないことが寂しくはあったが。
いずれにしても、今のが心の底からの微笑みであることを祈るばかりだ。



シチロウジは、自分を責めさいなんでいたのが、実は孤独感ではないことに気が付いていた。
このひと月、想いはあちらこちらを彷徨って、漸く自分の心を探り当てたのだ。

秋の居待ち月―――シモツキ村に着いた日と同じ、秋の居待ち月の夜。

自分の全てがそこから始まり、自分の想いの全てが、そこへ還る。
そして、それを象徴する、左腕―――


一人取り残されて寂しいのではなかった。
拠り所とも言うべき、唯一無二の存在(ひと)を永遠に失ったかも知れない、その可能性を受け入れられなかったのだ。

こんな終わり方があるなどとは、想像すらしていなかった。
自分が生きているのだからという一縷の望みと、二度と得られないかも知れないという喪失感との葛藤。
辛すぎて考えまいとしていたそれを、昔を思い出させるあの月の光が引きずり出して、目の前に突きつけたのだ。
そして、落書きなんかで誤魔化さずに、自分の気持ちを全て告白しておけば良かったという、後悔も。


この数ヶ月、余程弱っていたのだろう。こんなに弱気で後ろ向きになるなど、自分らしくもない。
しかし、気づいてしまえば、おそらく乗り越えられる。絶望の勝利とは、まだ決まったわけではない。



これからどうすべきか、今なら考えられる。
己の本心を計りかねて呆然と過ごす時は、もうお仕舞いだ。



その前に先ずユキノ殿には、支えて貰った礼を、もっときちんと述べなくては・・・・・・

(終)   


(2006.06.17)

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