カウンタ10,000回転記念に、月夜のくじら様からリクエストを頂きました。
頂いたテーマ: 勘兵衛様が初めて七郎次を 「惚れた!」 と思った瞬間のお話。
時代は大戦時でも子どもの頃でも、灯り屋の設定で。
ということで、灯り屋の本編沿い「邂逅」から半年ほど経った頃の物語です、が・・・・・・
「卒々啄々(そつそつたくたく)」
先程からシチロージが真っ暗な小屋の中を足音を忍ばせて動く気配がするが、毎朝のことで、カンベエは少年の好きにさせておいた。
起きるにはまだ早い刻限だが、夜明け前に一度こっそりと寝床を抜け出して、カンベエには内緒で素振りなどしてくるのだ。カンベエはその事にはとうに気付いていたが、何も言わないシチロージの意思を尊重して知らん顔をすることにしていた。
春も盛りに近いこの頃は日の出がそれと分かるほど早くなったが、依然として冷え込む日も少なくない。夏から秋へ、そして冬から春へ、少年が起き出していく時刻はほとんど変わらなかった。
シチロージが自分の許に身を寄せるようになって、もうそれ程の日数(ひかず)を重ねたのか・・・
いまだ夏の熱が残る初秋のある朝、突然やって来た少年―――その時のシチロージの姿が鮮やかに浮かび、空色の瞳を見たときに受けた自分では説明の付かない衝撃が甦った。
思わず身じろぎすると寝台が僅かに軋んで、ハッと息を呑む気配とともにシチロージの動きが止まった。邪魔をして悪かったな、と思いつつ寝たふりを続けていると、やがてホッと小さく息を吐き、戸を僅かに開けて出て行った。
起き上がってから外へ出て戸を閉めるまで、少年が物音をほとんど立てずに行動できるようになるまで幾らもかからなかった。
勘の良さ、理解の早さと深さ。何より、上達したいという熱意―――感心させられることが何度もあった。
昨日もそうだった。初めて手にした「長尺物」を、たった一日で何とか振り回せるところまでいってしまった。基本や型をとやかく言わなければの話だが。
前日は、鍔ぜり合いから攻勢に転じるための動きを教えていた。
相手の刀を上から押さえ込んだのを跳ね上げさせて胴を・・・あるいは、柄で下から突き上げて開いたところを・・・
そうやって何度か受けさせたり打たせたりしているとき、シチロージの利き腕ではない左腕が思いのほか力強い動きをすることに気が付いたのだ。
「シチロージ、ちょっと左を見せてみろ。いや、掌ではなくて、腕だ」
まず、差し出された左腕の上部を大まかに掌でなぞってみた。それから、上衣の袖をまくらせて力こぶを作らせる。
村へやってきた時ほどではないが、少年の腕はまだまだ細かった。しかし、上腕部と肘下には、利き腕に匹敵する筋肉が付いていた。
言われる通りにしていたシチロージは、緊張の面持ちで大人しく次の言葉を待っている。
「さて、どこから始めたものかな」
汗を拭いておけといった後カンベエはしばらく考えていたが、やがてはたと膝を打った。
「そうだ。あれがあった。シチロージ、いつだったか、お前が居合刀を分解して竹竿にくくり付けたことがあっただろう。あの竿はまだあるか」
一体何が始まるのかと密かに期待して待っていたシチロージは、よりにもよって一日も早く忘れたいと願っていた物を思い出させられ、耳まで赤くなった。
「あるけど・・・でも、あれは・・・」
「どうした」
「あれは、あの時あに様に・・・散々笑われたから・・・」
「ないのか!」
「ありますっ!」
「では行って取ってこい」
「はいっ!」
慌てて住まいの裏手に走っていくシチロージの背中を見送りながら、カンベエは顎髭に手をやった。
「俺が何を笑ったって?」
持ってこさせた竹竿は少年の手で握るにはまだ幾分太かった。
細い方から六尺ほどの長さに切ってやってから、好きに振り回させてみる。
初めこそ、ぐるぐる回る竿の先に人形がぶら下がっているような危なっかしさだったが、すぐに竿の勢いに釣り合う姿勢を自分で見つけ出し、体を軸にして回転できるようになった。
そこで竿の回転に合わせて手を持ち替えるこつなどを教えると、迂闊に近寄れないほどの破壊力が出るようになった。
―――そうだ。まずは振り回せ。もっと思い切り良く。そこで左を使え。もっと素早く。いいぞ。
どうやら、刀を振り下ろしたりするよりは、ぶんぶんと音をさせて竿を振り回す方が気に入ったようだ。
「回すときに竿が波打たないように頑張ってみろ」と言って、それ以降は好きに遊ばせたのだった。
シチロージは、本当にあの竹竿が嫌いだったらしい。
ひとりになった暗闇でカンベエは、かつて身長の三倍ほどの長さがある竹竿を細い腕で支えてふらついていた少年の姿を思い出し、我知らず笑みをこぼした。
あの時笑ったのは、一矢報いたい一心で居合刀を分解して竿にくくりつけたその創意に感心し喜んだからだ。決して嘲笑った訳ではない。だが、稽古の時に俺が笑うと、何故かあいつにはこたえるらしい。
カンベエは頭の下に手を置いて仰向けになると天井を見つめた。暗くて板目も見えない天井を背景にして、シチロージの笑われてムスッとした顔と普段の屈託のない笑顔が交互に浮かんだ。
カンベエは何故か落ち着かない気分になって体を起こし、結局そのまま自分も起きることにした。
今日は・・・もっと効率の良い旋回の方法と、刀をどう受けるかを教えてやろう・・・
カンベエが明かりに火を入れるのとシチロージが戸を開けて入ってくるのとが同時になった。
「あ・・・あに様。もう起きたの・・・」
カンベエは「もう済んだのか」と言いかけて慌てて口をつぐんだ。
「・・・何をしていたのだ」
「あの・・・雨が降ってきたから・・・」
「雨?・・・ああ、確かに、かすかだが雨音が聞こえる」
こっそり出て行った手前、濡れるわけにはいかなかったのか。子供なりに気を遣っているらしいのが何とも可愛かった。
シチロージは少し照れたようにニッコリしただけで、自分の寝台に掛けてあった手拭いを取って髪や顔を拭いている。
あの朝、ぼさぼさの頭にすり切れた衣類をまとい、全身埃まみれで連れてこられた子供。しかし、決して哀れを誘おうとはせず媚びもせず・・・
警戒心を解いてからは、しなやかな金髪を振り乱して笑い転げることもある陽気な性格だと分かった。
今は、その金髪を短く刈っている―――俺の真似などせずとも良いものを。
先程の落ち着かない気分が戻ってきた・・・
カンベエはシチロージの傍らを通り過ぎて戸口に立った。戸を開けるのに合わせるかのように、白み始めた空から大粒の雨が音を立てて落ちてきた。小屋の前の空き地には、水たまりができ始めている。
「しばらくはこの調子で降りそうだな。ひょっとすると今日は出来ぬかも知れんな」
「えっ・・・稽古できないの」
小走りにやってきたシチロージはカンベエと並んで戸口に立ち、外を見やった。
「やっと見つけたと思ったのに・・・」
少年の呟きにカンベエは頭を巡らせた。カンベエの肩の高さでシチロージの空色の瞳が曇っている。
「竿を振り回すのが余程気に入ったようだな」
「・・・そういう意味じゃあ・・・」
色白の頬に朱が差し始めたが、シチロージが顔を背けたので最後まで見届けることは出来なかった。
「・・・今回も余り教えてやる時間がなかったな、残念だが」
シチロージは顔を背けたままでしばらく雨を眺めていたが、やがて足許に視線を落としてぼそっと呟いた。
「次の・・・お帰りはいつになるの」
「それも、残念ながら分からん。遭遇する敵次第、戦況次第、上層部の判断次第、だからな」
「・・・・・・」
これまでなら、「無意味なことを聞くものではない」と一蹴するのだが、今朝は丁寧に答えてやりたかった。シチロージの感じる物足りなさを、カンベエも共有していたのだ。
本心では、細い肩を抱き寄せて「それまで待っていろ」と声をかけてやりたかったが、カンベエは無意識にそれを避けた。代わりに雨を睨んだままで呟く。
「しっかり稽古を積んでおけ」
風が出て雨が軒先から降り込んできたが、二人はしぶきがかかるのも構わず、そのまま並んでしばし雨脚の強くなった外を眺めていた。
(終)
(2007.02.05)