邂逅
隣家の戸口あたりでらしい話し声が聞こえ、カンベエは目が覚めた。
寝台近くの小窓から差し込む陽の明るさからみて、夜が明けてまだ大して時間は経っていないようだ。
寝返りを打つ。
休戦による久々の休暇で、僚友のヒラザ共々住まいのあるこのシモツキ村に戻っていたのを思い出した。住まいといっても、と横になったままで小屋を見渡す。大人の歩幅で十数歩も歩かぬうちに端から端まで届いてしまうが。
それから、あの声。あの訛りは、隣のヒラザを訪ねてきた親戚の者か。田舎は早起きだ。
寝台とは反対の端にある戸口を叩く音がして、少年の声が聞こえた。
「あに様、カンベエのあに様」
「おう、起きているぞ」
体を起こすと、戸が開いて年の頃十ばかりの黒髪の少年が、遠慮がちに顔を覗かせた。ヒラザの許で見習いをしているゴロウタだ。
「早い時分に申し訳ないけどおいで願いたいとヒラザのあに様が。カンベエ様が探してる助手のことでお話があるそうです」
「分かった。すぐ行くと伝えてくれ」
表へ出てみると、推測通り、ヒラザの親戚らしい中年の男が立っていてこちらへペコリと頭を下げた。が、二十代の若武者二人の精悍な風貌と体格とを間近にして圧倒されたのか、別れの挨拶もそこそこに、牛に引かせた荷車をガタガタいわせて立ち去った。
朦々と上がる土埃の中に、子供が一人残されていた。地面に視線を落として立っている。
「すまぬなカンベエ。あれは、近在の村の従兄弟に当たる奴だ。俺が戻ったと聞いて早速やって来やがった」
「その子供はどうしたのだ」
話しながら二人は、二軒の小屋の中間に置かれた木のテーブルについた。ゴロウタは、子供のそばにいたわるような面持ちで立っている。
「このぼうず、あいつが言うには、北軍の勢力圏内にあった国境の町から逃れてきた難民に混じっていたそうだ」
「国境からこんな東の方までか? 親きょうだいや身内は?」
「あったかも知れぬが、今では一人だ。そもそもはヤマセ谷辺りを目指していたらしいが」
「あの辺りは北の同盟軍が散々空爆したと聞くぞ」
「そのあと別の難民の一団が通りがかって、僅かに生き残っていた住民や難民を拾い、一部がこの辺りまでやって来たというわけだ。伝聞だから、正確なところは分からぬが」
カンベエはあらためて、数歩離れてたたずむ子供を見た。
か細い手足をして、相変わらず俯いたままだ。衣類はあちこちすり切れ、全体に埃だらけで、ボサボサの髪にも泥がこびり付いている。背の高さは十一歳のゴロウタとあまり違わない。
他人の手から手へと伝えられ手渡されてきたであろう子供一人の逃避行に、カンベエは思いを馳せた。
「しかしなあ」
とカンベエは口を開いた。きっちり刈り込んだ顎の髭に手を遣る。
「俺は、助手を探しているとは言ったが、養子を欲しいと言った覚えはないぞ」
「相変わらず話が早いな、お主は。ま、そう言うことだ」
「ぼうず、名前は?」
俯いたまま返事はない。
頭でも撫でてやるかと手を挙げると、俯いたままビクッと体を小さくしたので、カンベエの手は中空で行き場を失ってしまい、自分の短く刈り込んだ髪を掻くことになった。
「・・・・・・とりあえず、きれいにしてやらねばなるまい。今後どうするかは、あらためて考えることにして」
そうカンベエが言うと、それまでじっと大人のやりとりに耳を傾けていたゴロウタが、嬉しそうに子供に話しかけた。
「良かったね。此処にいられるよ」
「まだ決まったわけではないぞ、ゴロウタ。あまり期待せぬ方がいい」
言われてゴロウタはカンベエの方にあっかんべえをして、子供の手を取った。
「おいで。洗ってあげる」
手を取られて、その子供はちょっとためらったが、素直に連れられて、ヒラザ達の住まいの裏手に回って行った。
「子供は子供同士、か」
見送った大人は、朝食の準備にかかった。
「ね、ね。見て、この子」
汚れを落としてゴロウタの着物を着た子供がその手を引かれて近づいてきて、二人は驚いた。
警戒しているのか、相変わらず視線を合わせないようにして、木のテーブルに用意された自分用の席に着く。その髪の色は埃で白っぽくなっていると思ったのが、明るく輝く絹糸のような金髪で、初秋の朝の爽やかな風をはらみ、肩の上でフワフワと揺れている。
「成る程。北との国境、か―――中々どうして」とヒラザが呟くと
「ねえ、可愛いでしょう」とゴロウタが、何故か自慢げに見回した。
「名前、どうしても教えてくれなくてね。でもほら、こんなの持ってたよ」
ゴロウタが取り出した布きれをあわてて取り戻そうとして子供が腕を伸ばしたとき、カンベエは初めてその瞳を見た。
明るい空の色をしていた。春が盛りに向かう、桜の満開の頃、その上に広がる、薄くて柔らかい、明るい空の青。
「こりゃあ、幼児の肌着だなあ」
布きれを受け取ったヒラザの声で現実に引き戻されて、カンベエは声の方に顔を向ける。
「何やら裾の方に縫い取りがあるようだが」
「どれどれ―――数字かな。日付けだとすると13年前だな―――次にも何か」
そこで持ち主にひったくられてしまった。
「お腹すいた。ご飯にしようよ」
ゴロウタが椀の準備を始めた。
「うむ、せっかくの朝粥が冷めてしまうな。ごちそうはないが、お前も腹を減らしているだろう。たくさん食べるといい」
ヒラザに声をかけられて、肌着を握りしめたまま子供はまた俯いてしまったが、ゴロウタに椀を手渡されると、ひたすらすすり始めた。
食事をしながら、いつもなら戦さ場のあれこれを聞きたがるゴロウタも、さすがに今朝は遠慮しているらしく、なかなか話が盛り上がらない。
「そうだ! 一緒に暮らすのなら、名前が要るよ。此処での名前を付けてあげようよ!」
「それは良い考えだ」とヒラザが応じる。自分が面倒を見ている見習いが優しいところを発揮して、まんざらでもなさそうだ。
気が利いていつも実年齢より少し背伸びしている少年と、それを喜んで色々と仕込もうとしている兄貴分。
この二人を、カンベエはいつも頬笑ましく見ていた。
「おいらがゴロウタだから、この子も数のつく名前にしてよ」
「数か・・・・・・ゴンジュウロウはどうだ。逞しいぞ」
「いかつくて、この子には合わないよ」
「では・・・マンゾウは」
「数、多すぎ!」
「それじゃ、ぎりぎり一桁で、キュウゾウ」
「うーん、悪くはないけど・・・・・・」と、目をくりくりさせながら子供の顔を覗き込む。
「七はどうだ」
それまで二人のやりとりをニヤニヤしながら聞いていたカンベエが口を挟む。
「七?」
「ああ。ゴロウタよりは少し年嵩のようだから、シチロウ。で、ゴロウタより後でここに来たからシチロウジ。というのはどうかな、と思ったのだが」
「シチロウジ―――うん、何か優しそうで、この子の雰囲気にぴったりだ」
「待て待て。本人が気に入るかどうか、聞いてみねば」
「シチロウジ・・・・・・シチ坊、どうだい?気に入らない?」
一同の視線を受けて、気づいているのかいないのか。子供は、俯いたまま、少し体を硬くしたようだった。
「言葉、解らないのかなあ」
「待ってやれ。知らない土地で、戸惑いもあるだろう」
「ま、気に入らねば、いつでも好きに変えるさ。とりあえずシチロウジということにしておこう」
ヒラザの一言で、名前の問題は一応の決着をみたことになった。
夜が更けて、居待ち月が出たばかりの空には満天の星が輝いていた。
カンベエの小屋では、先程までゴロウタがねばっていて、何とかしてシチロウジを笑わそうと知恵を絞っていたのだが、笑うどころか、硬い表情を崩さず、問いかけにもただ空色の瞳で見返してくるだけだった。
眠気と疲れで朦朧となった見習いを抱えて、その兄貴分は苦笑しながら帰って行った。
今、シチロウジは奥の寝台に腰掛け、膝にはゴロウタが置いていった寝間着を載せて、床にぎりぎり届く足先に視線を落としている。
その側の作業台に向かって、カンベエは客が居るうちから、例の乗り物の使い勝手がどうのこうのと言いながら、自分の仕事に没頭していた。
子供は思い詰めた表情をしているが、こちらからは働きかけはすまいと、カンベエは当面の様子見を決め込んでいたのだ。
「シチロウジなんて知らない」
唐突に子供が口を開いた。
手を止めて、そちらを見る。まっすぐにこちらを見返していた。
あれこれ考えた挙げ句に精一杯の抵抗を示すため、自分に付けられた名前を否定することを選んだのであろう子供の心中が健気でもありまた愛らしくもあったが、カンベエは笑みを浮かべることは思いとどまった。
「言葉を教える手間は省けたようだな。シチロウジというのは、あいつらに合わせた半分冗談だ。悪かったな。名前は自分で好きなのを考えれば良い。しかし、これまでの名は、捨てることだ」
「・・・・・・」
「名告れぬ名前では、しようが無かろう」
「今までのこと、忘れられる訳がない」
「忘れろとは言っておらぬ。むしろ、事ある毎に思い出して、しっかり記憶に留めておくことだ。それが、これからのお前の人生の・・・」
シチロウジがキッと唇を引き結び、口元が震えるのを押さえようとしているのが見え、カンベエは言葉を切った。
手にした図面を置いて立ち上がると、子供の隣に腰を下ろして骨張った小さな肩を包み込み、そっと語りかける。
「よくぞこれまで生き延びた・・・・・・・・・せっかくここまでつないだ命だ、滅多なことで手放してはならぬぞ」
握りしめた小さな両の拳が真っ白になり、預けてくる体の重みが増した。
ついに泣くかとカンベエは思った――――――が、結局シチロウジは泣かなかった。
ややあって、細く長く息を吐くと、シチロウジは再び口を開いた。
「これからは・・・あんたがおいらの・・・・・・面倒をみてくれるのか」
体を離して、まっすぐ見上げてくる。その瞳の青さに、また春の桜の景色が重なった。
「―――そうなるだろうな」
「なぜだ?」
「―――この戦乱の世と言えども、身寄りのない子供を瓦礫の中に置き去りにしたり人買いに売り飛ばしたりするのは、少なくとも俺の流儀では無い、というところかな」
「いつまで?」
「まずは、お前がやりたい事、やるべき事を見つけるまで」
しばらく無言でいたが、納得したのか、ゴロウタに言われたとおり寝間着に着替えて寝床に入った。
カンベエはその横顔を眺めた。
終日だんまりを決め込んでいたあげくに、今のはどうだ。ごく自然に議論でも出来そうな受け答えではないか。
長い逃避行が子供を鍛えたのか。それともそれが、この子の資質なのか。
しばらく寝顔を見、息づかいに耳を傾けた。
「どうやら眠れぬようだな」
シチロウジは目を開けてこちらを見た。
「岩陰や草むらより、よほど寝心地が良いだろうに」
「・・・・・・・・・」
「では腕枕でもしてやろう。うでまくら、知っているか」
明かりを落とすと、カンベエは子供の側に横になって、左の腕に頭を載せてやった。
小窓から、高くなった居待ち月の青白い光が差し込んできて、シチロウジの輪郭を縁取った。
月の光は金の糸を白磁のように輝かせ、空色の瞳に深みを添えた。その碧い瞳で影の中のカンベエをじっと見つめていたが、眉間の緊張はいつしか静かな寝息の中に解けていった。
眠ったことを確認すると、カンベエは小さな溜息をついて作業台に戻り、自分の試行錯誤に没頭した。
(終)
(2006.03.27)