斬艦刀



もう小半時ほども、カンベエとシチロージは斬艦刀を飛ばしていた。

いつ戦闘が再開されるか分からない、芝居の幕間ほどもない空白の時間を惜しむようにふたりで飛び出しては来たが、そろそろ帰艦すべき時だ。しかし、斬艦刀の機体と人間の動きの間合いがどうにも納得できないと言って、シチロージが承知しないのだった。

人間の動きとはつまり俺のことか、とカンベエはいささか不満だった。
先程までの戦闘中もこの試験飛行中も、自分の目にはいかなる不都合も失敗も見えなかったからだ。この身体と感覚は、いつもの如くに万事順調と語っている。
シチロージは一体何が気に入らないのだろう。

傍らの風防越しに操縦桿を握る相棒の表情を窺う。じっと前方に視線を据えたままのシチロージは外界を見てはおらず、心中に浮かぶ物に気を取られているような瞳をしていた。
(このまま進めば中継基地に接近する。気に入らんな)
カンベエは何の前触れもなく斬艦刀の峰を走り出した。

「カンベエ様!」
斬艦刀の先端から中空に飛び出したカンベエの目に、自分の名を呼んでいるらしいシチロージの顔がチラと見える。そして機体はカンベエを追ってすぐに旋回を始めた。
(あの様子では、考え事から意識を引き離す分だけわずかに後れを取ったようだな)

落下する自分を追い越して下から回り込もうとする斬艦刀を横目に、カンベエは身を一度二度翻して軌跡を変え中継基地を目指した。
シチロージも直ちに察して方向転換し、カンベエの着地の直後に滑走路に進入してきた。



ふたりが降り立った中継基地は無人制御で、地上と高層部軌道とのまさに中間高度に設置されており、上方にも下方にも無許可で通過することは禁止されていた。

操縦席で「無茶もいい加減にしてください」とシチロージの口が続ける前に、カンベエは彼をその場に残して滑走路の端まで歩いていった。話の主導権を取らねば、本心を聞き出すことは出来まいと思ったのだ。
斬艦刀から飛び降りたシチロージが小走りにその後を追う。
「何かご覧になりましたか」
追いついた声が背中から聞こえるのに対して、カンベエは前を向いたまま答える。
「お前こそ、何を見ているのだ」
「・・・私、ですか」
「そうだ」
振り返って戸惑った顔と向き合う。

監視塔からのほの暗い照明が当たってシチロージの空色の瞳も金色の髪も陰りを帯び、まるでカンベエの髪の色の様に濃い灰褐色になって闇に沈んでいる。
「お前の瞳は何を見ているのだ」
同じ問いを繰り返す。が、カンベエは聞く前から既にその答えを知っているような気がしていた。

ふっと苦笑を漏らしてから、シチロージは囁くように答えた。
「見ているわけではありません」
それから、遠い目をして眼前に広がる虚空にぐるりと手を振ってみせる。
「まるで何事も起こっていないようですね。誰も存在しない。全く、見事なくらいに静かなものです。見えるのは星々のみ」

(俺の無茶は咎めたが、基地に立ち寄ったことは当然のように受け取っている。やはりここを目指していたのか)
何と応じたらよいものかカンベエが答えかねていると、シチロージがカンベエを振り返った。その瞳はカンベエを見た途端に表情を変え、年相応の若々しさが溢れていた。

「合戦の最中ですら、敵艦も敵機影も全く見えない方角があります。味方すら見えない」
かすかにうなずいて、カンベエは先を促した。
「その全く何もない真っ黒の空間が本当に空っぽになる時が来るのだろうかと・・・」
「・・・つまり、戦さの終わる時が来るのか、ということか」
「はい」
「そんなことを想像してどうする」

暗がりでもはっきりと分かるほどの笑みをシチロージは浮かべた。笑いというよりはにかみの色合いが強い彼の微笑みは、常にカンベエの心に波を立てる。
その笑みを深くしながら、シチロージは再び周囲の空間を見回した。
それからおもむろに口を開く。

「もしもこのまま戦さを生き延びることができたら、とこの頃考えることがあります。戦さが終わったときに、もしもまだふたりとも生きていたら、と」
そこで言葉が途切れた。意識が再び心の中の景色に飛んでいるかの様な横顔を見せる。

ふたりとも生き延びる・・・
それは、カンベエが考えまいとしていたことだった。その逆の可能性の方が遥かに高いときに、それは何と空しく且つ心乱される空想だろうか。
カンベエに何も反応がないことをどう取ったのか、シチロージは隣に立つ上官に視線を戻した。

「戦さによって何かを手に入れたいとは、カンベエ様も私も望んではいません。おそらくどちらの手も空っぽのはずです」
そういって自分の両手を見下ろしてから後ろを振り返り、視線をカンベエに戻す。
「ただ、斬艦刀一機のみ」
「斬艦刀?・・・まさか、このまま脱走する腹ではあるまいな」
シチロージの微笑みにつられて冗談めかしながらも、カンベエは先程から頭をもたげていた懸念を口にした。

「まさか!」
シチロージの微笑みが更に深くなる。
「我々が生きて戦さの終わりに立ち会うとしたら、それはきっと斬艦刀の上でだろう、ということですよ。そして、そのまま高度を下げて」
と、高く上げた掌を下に向けて弾むように下ろしていった。
「・・・地上の生活を始めるんです」

「それでどうする」
ただのお喋りであることを祈りながら、カンベエは先を促す。
「斬艦刀の動く限り、燃料の手に入る限り、今と同じようにカンベエ様とふたり、飛び続けたい」
次第に俯き加減になって声も小さくなった。そのまま呼吸も忘れたかのように一瞬動きを止める。

「戦さは終わったのに斬艦刀を飛ばして、一体何をするのだ」
黙り込んだ横顔に問いかけると、ついと顔を上げてまた笑みを浮かべる。
「さあ。特に何も考えていません・・・別段何かをしなくてはならない訳もありますまい」
「そういうものか」
「陽が昇ったら斬艦刀で飛び立って、一日中そこらを飛び回ってから夕方になるとねぐらに戻るんです」
「それだけか」
「それだけです。ねぐらはひとつ所に定めても良いし、日々変わっても構わない」

カンベエの眼前にもその情景が浮かんだ。
飛ぶことそのものが目的でひたすら飛んでいく斬艦刀。操縦桿を握るのは無論シチロージ。その傍らには自分が立ち、着衣や髪が風を受けてはためいている。
ふたりの足の下を過ぎ去るのは、実りを迎える田畑であるか深い森であるか、はたまた山々の稜線か・・・

その情景に、静謐だが何か人の本質に触れるような感動を覚えて、カンベエは虚空を振り仰いだ。ふたりの間にしばしの沈黙がおりる。



「悪くないかも知れんな」
「カンベエ様もそう思われるでしょう」
微笑みには微笑みで返す。しかし心躍る空想もそろそろお終いにするべき時だ。
「帰還する」
「承知」
応答と共にシチロージがすっと背を伸ばすとそれまでの夢見るような表情が一変して、戦さ場に立つサムライの緊張が戻ってきた。

肩を並べて無人の滑走路を斬艦刀へと戻る。その間もふたりは無言だった。
しかし、斬艦刀に飛び乗ったときのシチロージは、楽しい場面でも思い浮かべたのか、控えめながら嬉しそうに微笑んでいた。





その時何を考えていたのか、そして中継基地まで足を伸ばした本当の理由は何であったのか、シチロージは遂に明かすことはなかった。
次第に不利になっていく戦況を身を以て感じていれば、その様な空想にふける時間もいつしか失せ、また実現の可能性も皆無であることを実感したゆえか。
あるいは、口に出して当のカンベエに語ったことで満足したゆえか。


戦後の地上にただひとり時を過ごすとき、カンベエの目の前には、あの時の嬉しそうに微笑むシチロージの姿が繰り返し立ち現れるのだった。


(終)   


(2007.11.22)

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