祝!ワンワンワンの日
と言うことで・・・
勘兵衛様と七郎次とわんこが和むお話を書くつもりだったのですが、
馴れ初めやら背景やらの設定をいじっているうちに、ちょっと辛い?物になってしまいました。
ようやく見つけた岩陰に、勘兵衛は潜り込んだ。
右手に握りしめていた刀を傍らに置くと、
もう片方の手で庇いながら引きずるように連れてきた七郎次の体を傍らの岩に寄りかからせた。
傷に障ったのか小さなうめき声が漏れた。
山中に夕闇が迫っていた。
来た方角に首を伸ばして耳を澄ませる。
敗走する残党を狩る敵方の足軽達の足音も次第に聞こえなくなっていた。
代わって、ざわざわと木々の葉擦れが耳を打ち、山の冷気が足許に忍び込んでくる。
早朝に合戦が始まって以来初めて、勘兵衛はほっと小さな息をついた。
「・・・旦那・・・様?」
再び小さく呻いた後、七郎次が意識を取り戻した。
「ここにおる。気分はどうだ」
「何ともありません。旦那様はご無事ですか」
「ああ、大事ない」
答えにほっとしたように微笑むと、ぐっとしかめて息を詰めた。
勘兵衛は顔を寄せると、射し込む残照を頼りに、若い従者の様子をあらためた。
平時は色白の面が、所々黒いしみを付けていた。
小刻みに浅く息をする度に胸も小さく上下する。
横たえてやった方が楽に違いないが、岩と岩の隙間にその余裕はなかった。
郎党数人を養える程度の島田の家で、勘兵衛と七郎次とは何代も前からの主従であった。
年がそれほど離れていない七郎次を勘兵衛は特に可愛がり、
子供の頃から自分の従者として何をするにも付き合わせ、どこへ行くにも伴った。
忠実な若い従者は、それをご恩としてよく仕えてきた。
勘兵衛が長じて家督を継いでからも槍を手に主の馬の手綱を取り、
島田家が伺候する主家の命に応じて共に戦場に赴いた。
戦国の世を、幾多の戦乱の地を、ふたりして駆け回ってきたのだった。
それが今・・・
「あの者達は、瓢箪の旗印にございましたな」
「その事は我らが悩んでも仕様がない。今はゆっくりと休め」
「このような、右も左も分からぬ山崎の地などで・・・このように・・・」
「休めと申しておる!」
「はい・・・」
命じられて大人しく口をつぐんだが、七郎次の眉間のしわは深まる一方だった。
優しげな容貌に似合わず気の強いはずの七郎次が愚痴をこぼし始めている。
勘兵衛は嫌な予感にとらわれた。
「・・・どちらの・・・方角でしょうか」
「坂本の、か?」
思わず応じてから、勘兵衛は先を続けるべきかためらった。
後に残してきた家の話は励ましともなるが、その時が近付いている証しかも知れないのだ。
「はい。あれがどうしているかと、ふと思い出しましたので」
「あれ、とは誰のことだ」
「山で助けた子犬のことでございます」
「・・・熊に挑んでおったようなあの白い犬のことか。山犬(=狼)にしては珍しい色だったな」
「今の私のように、いえそれ以上にひどい怪我でございました」
目の前の怪我人は体を起こそうとして、ぐうと体を折り曲げた。その背を勘兵衛はさすってやる。
「これは・・・申し訳ないことでございます」
しきりに恐縮しながらも、七郎次は素直に主の好意を受けた。
しばらく息を継いでから岩にもたれかかり、記憶を辿るようにぽつりぽつりと語り始める。
「生き延びておれば良いがと・・・ずっと気になっておりました」
「立派に成長しておろう。きりっとした良い面構えだったからな」
はい、と答えようとして、七郎次はむせて咳き込んだ。
追っ手に聞こえてはと思うのか、己が手で己が口を塞ごうとするが、咳は止まらなかった。
勘兵衛はその手を離してやってから体を抱き寄せた。
咳き込みながら七郎次が驚いた顔を向けるので、その耳許に語りかける。
「無理にこらえることはない。見つかったときはその時だ」
かつて七郎次がぐったりしていた子犬を抱いて介抱したように、
勘兵衛も七郎次をいたわるように抱きかかえた。
程なく咳は収まったが、はあはあとせわしない呼吸は続いた。
「旦那様。どうぞ今のうちに逃れて下さいませ。夜の間は落ち武者狩りもおりますまい」
「そなたが歩けるようになったらな」
「私は足手まといになるだけです。どうぞこのまま」
それには答えを返さないことで、勘兵衛は拒否の意志を示した。
「お願いでございます。・・・旦那様」
七郎次は涙声でつぶやいたが、勘兵衛は無言のまま七郎次を抱く腕に力を込めた。
あの子犬は、まだほとんど傷が癒えないうちに、少し動けるようになっただけで姿を消した。
なにゆえ山犬の子が熊に襲われるようなことになったのかは分からないが、
あの子犬には強い生命力が感じられた。きっと生き延びているはずだ。
ゆえに七郎次よ、そなたも必ず儂と共に戻るのだ。
しかし願いとは裏腹に、怪我人の息は次第に弱くかすかなものになっていった。
すっかり暗くなった山中は、夏にもかかわらずひんやりと冷たい夜露に覆われた。
祈るような思いで、勘兵衛はただじっと抱き続けた。
*
明け方の薄暮の中、枝が弾け下草を踏む複数の足音が聞こえてきた。
遠慮がちの話し声も混じる。
時折耳に届く言葉遣いから、勘兵衛は彼らが落ち武者狩りにやって来た近在の農民だと判断した。
全身が緊張で総毛立った。
七郎次をそっと傍らに寄りかからせると、刀を取って握りを確かめる。
ふたりが身を隠しているのは大岩に挟まれた小さな空間だ。
ふと視線を向けただけでも見つかってしまうに違いない。
少なくはない足音がこちらへ近付いてくる。
勘兵衛は息を凝らして飛び出す間合いを計った。
辺りにはいつの間にか薄いもやがかかっていた。
そのもやの中、勘兵衛のすぐ目の前を十人ほどの集団が通り過ぎていった。
誰もが辺りをきょろきょろとうかがい、気勢を上げる者もいれば、おどおどした動きの者もいた。
彼らが手にした鎌や竹槍や刀が、腕の動きに合わせて上下する。
しかし、その誰ひとりとして勘兵衛には気付かなかった。
あれに一斉に襲いかかられたなら・・・・・・
もやに紛れて見えなくなる背中を見送りながら、勘兵衛の背に冷たいものが流れた。
後ろを振り返ると、七郎次が目を開けていた。
「旦那様、あれが参りました」
虚空を見つめてつぶやくので、傍らへにじり寄って励ますように声を掛ける。
「たった今、落ち武者狩りをやり過ごしたところだ。寒くはないか」
「あれが参りました。ほれ、すぐそこに居りまする」
虚空と見えたのは自分の肩越しに背後を見ているからだと気付いて、勘兵衛は振り返った。
岩の前には白いもやがあるだけだった。
「何も・・・」
言いかけて言葉を失う。ごとんと音を立てて七郎次の体が倒れたのだ。
「七郎次!」
抱き起こして名を呼ぶが、腕の中の青白い顔は目を開けず答えもなかった。
「ならぬぞ、七郎次・・・ならぬ・・・ならぬ・・・・・・」
食いしばった歯の間から呻くような声を漏らし、勘兵衛は動かなくなった胸に顔を埋めた。
背後でかさりと気配があった。
「さては名を呼ぶ声に気付いて、落ち武者狩りが戻ってきおったか」
きっと振り向いた勘兵衛の目の前には、白いもやが漂う以外何の姿もなかった。
しかし、その白いもやが次第に集まり固まったと見る間に、大きな犬の姿になった。
白いふさふさとした毛に全身を覆われて、焦げ茶の瞳がじっとこちらを見ている。
驚きに言葉を失って見守る勘兵衛に、やがてそれは語りかけてきた、と勘兵衛には思えた。
(私は、かつてあなた様に助けていただいた者にございます)
「・・・あの時の山犬の子か?・・・ならば頼む、七郎次を連れて行くな!」
反射的に応じていた。
「これは儂にとっては、従者以上のかけがえのない者ゆえ・・・」
取り乱して幻を見ているに違いない。一体何をたわけたことを。
勘兵衛は内心己の反応にあきれたが、願うその心情に偽りはなかった。
(助けていただいたご恩をお返しするために、あなた様をお助けいたします)
「そなたを助けたのは七郎次だ」
(熊を追い払って下さったのはあなた様です)
「七郎次の献身がなければ、そなたはどうなっておったか」
(・・・それで宜しいのですか)
「繰り返すまでもない」
しばし首をかしげるようにしていた山犬は、やがてそろりと歩み寄ってきた。
(では、この方をお助けして、それによってあなた様をお守りすることにいたしましょう)
「・・・待て。それはならぬ」
(・・・・・・)
「無論、七郎次は助けて欲しい。だが、その助かった命をどうするかは七郎次次第だ。
これまでは否応なく儂に従い、あちらこちらの戦さに駆り出されてきた。
他の道を選びたいというのが本心ならば、好きにさせてやりたい」
じっと耳を傾けていた山犬は白い首を伸ばして、濡れて黒く光る鼻面を七郎次に近づけた。
(それがお望みならば。あなた様のお心に叶うように計らうのが私の本意)
それから顔を戻して勘兵衛を見た。
その焦げ茶の瞳が何を語ろうとしているのか問おうとしたとき、
勘兵衛の腕の中で七郎次がわずかに身じろぎした。
はっとしてそちらへ顔を向けたその視界の端から、白い姿が消えてなくなった。
驚いて再び顔を上げて見回したが、山犬の姿はどこにも見えなかった。
・・・儂はやはり幻を見ていたのか。
「だん・・・な・・・さま・・・?」
「七郎次」
安堵の表情で覗き込む主に、七郎次はかすかに微笑んで見せた。
「あの白い・・・犬が・・・立派になって・・・おりました」
かすれて途切れ途切れの声に、まこと助かったのだと勘兵衛の胸が熱くなる。
「夢を見ておったのか?」
「はて?・・・今までそこに、居りましたでしょう。・・・ご覧になりませなんだか」
問いかけるように主を見上げる七郎次の瞳は、かの犬の瞳にそっくりだった。
「確かに儂も会うた」
感謝の念と共に、最後に白い山犬が何を言おうとしたのか分かったような気がした。
(その懸念には及びますまい)
「かたじけない」
思わずつぶやく。
己の大切な者を助けてくれた礼に。
そして、その心の内を垣間見せてくれた事に対して。
「何と仰せですか?」
「いや、何でもない。・・・そなたには何か申しておったか」
それにはくすりと笑いが返ってきた。
「己は山の神の使いとなるべき身にも関わらず素行宜しくなかったので、
あの時は、長たる熊の大将に仕置きされておったそうにございます」
「・・・何とも厳しいことだな」
ふたりは苦笑する顔を見合わせた。
七郎次は、話すにつれて急速に回復しているように見えた。
それは生来の頑健さのせいか、それとも神の使いの不思議のお陰か。
いずれにしても、七郎次はここにいる。
これまでのように。
そしておそらく、これからも。
*
その日一日休んだだけで、七郎次は歩けるほどに回復した。
夜を待って逃げのびたふたりはやがて、後に西軍の大将と呼ばれる大名の傘下に入った。
天下分け目の戦さを戦い、更に十五年後の夏、最後の合戦場にいた。
そうして、ふたりの戦さの日々はひとまず終わったのだった。
(2008.11.02)
ちょっと遅れましたが、犬の日の記念に。
何でこんな筋立てになってしまうのか、自分でも不思議です。
きっと素直な性格ではないのだと思いますが、映画とアニメの両方に触発されたようです。
「元和えん武」(漢字がない!)と言う言葉がまずあって、
ではそれまで、フタリはどういう風に生きてきたのだろう、負け戦さ続きで、最後はおそらく、大坂城の二の丸が・・・と。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。